夜香花

「……わかった。わらわ、帰るよ」

 下を向いたまま、ぽつりと言う。
 捨吉が何か言おうとしたが、長老が止めた。
 そしてそのまま、捨吉を促してその場を離れる。

 深成は懐に入れていた懐剣を取りだした。
 鞘を払うと、一度血に曇ったお陰で、くっきりと家紋が浮かび上がっている。

「おお、まさしくそれこそが、於市様である証明ですよ。大谷家から真田家に、そして殿が於市様を五助殿に託すとき、お方様がそれを五助殿に渡したのです」

「この懐剣、真砂の血しか吸ってない」

 呟くと、深成は懐剣を鞘にしまい、真砂に差し出した。

「この子、真砂が好きなのかも」

 この小さな懐剣なら、片手でも軽々扱えよう。
 それに、何か繋がりを残したかった。

「それはお前の身の上の証明だぞ」

「そうですよ! しかも、それはただの懐剣ではありません。舅殿がお方様に下げ渡し、お方様から於市様へと渡ったものなのですよ。お方様は於市様を案じておられました故、大事なその懐剣を、姉君ではなく、於市様にお与えになったのです」

 己の出自の証明だということはわかるが、深成は真砂の手を取ると、懐剣を握らせた。

「大事なものだとは思うけど、ほんとにそこまでわらわを想ってくれてるなら、懐剣なんかの証明がなくても、わらわを受け入れてくれるでしょ。証明がないと追い返されるようなら、それまでだよ」

「し、しかし……」

 なおも渋る六郎は、真砂を見た。
 仕えるべき姫君が、このような身分もない乱破の男に、唯一の持ち物であり宝であろうものを譲るとは。