「他に、何か変わったことはないのか?」

 降りて来たエレベーターに乗り込みながら、山村が問えば。

 安藤は、神崎の部屋のある階を押して考え込んだ。

「……そうですね、他には。
 神崎は、精神科に通院していたようですが」

「なんだ、それが原因か?」

「いえ、子供のころから精神疾患はありましたが、現在は安定していて、いきなり自殺を考えるような類のものじゃないそうです。
 それどころか、神崎は上手く疾患を制御して、仕事にも役立てていたようで」

「ああ?」

 怪訝そうに眉をひそめる山村に、安藤は答えた。

「解離性同一性障害……いわゆる、多重人格症ですね。
 幼いころ父親の虐待を受けて、発症したようです。
 神崎には、普段、我々がよく知っている『ヒロト』と言う主人格の他に『セリナ』という女性の人格があり、時々入れ替わるのだそうです。
 他に半分意図的に新しい人格を作ることができるようで。
 台本通りの人格を自分で作って演技をさせるから、神崎は『どんな演技もできる天才俳優』なんだそうです」

「ほう」

「現在神崎は『マリア』っていう、女役を演じてました。
 ほら、神崎がメイクしたら、絶世の美女になったとかでひそかに話題になっていたやつです。
 昔男に乱暴されたことのある女っていう難しい役を、そつなくこなしていた所をみると、どうやら『マリア』もヒロトの人格のひとつみたいですね。
 鏡に写った自分に『マリア』と呼びかけている姿も目撃されていますし。
 マネージャーの話によると、最近の神崎は、ひとつの体に三つの人格を持った、三重人格の状態で生活していたようです」

「……それで、ヒロトの中の女二人が、一人の男を取り合って殺しちまったと?」

「それなら、事件解決が早まって何よりですが……いや、証明ができない分長引きますかね?
 もし、ひとつの人格が、他の人格を殺そうとした場合。
 この事件は他殺なんでしょうか?
 それとも、自殺なんですか?」

「さてな」

 混乱ぎみの山村はそう答えると、ポケットから、ホワイトチョコレートを取り出しひとかけら食べた。

 昨日、二十年連れ添った妻からもらった物だった。

 しかし、ソレは純粋な『愛のかたち』ではない。

 山村が余りに仕事に比重を置きすぎて素直に普通の茶色のチョコレートを贈れない、といわれた微妙な代物だ。

 後輩には、いい所を見せたいがために『非番出勤もかまわない』とは言ったが、さっさと仕事を終わらせ、家に帰りたいのが本音だった。

 この、バレンタインチョコレートを食べて死んだ多重人格男とやらに、自分の家庭を壊させるわけには行かなかったのだ。

 妻が出してくれなかった朝食代わりの、嫌味なほど、甘い、甘いチョコレートを苦く飲み込んで、山村は、事件捜査のために、白手袋をはめたとき。

 軽い音がして、エレベーターが神崎ヒロトの自宅の階に、止まった。

 これから『イケメン俳優服毒死』の本格的な捜査をはじめる。

 神崎のファンのためにも、自分のためにも。

 山村には、すばやく正確な事件解決が必要だった。



 (了)

H25.5.30.am9:09(書き下ろし)