「スザナ。深夜に裏門から名乗りもせずに入ってくるとは、一体、貴婦人中の貴婦人である筈のきみが、どういう礼儀なんだ?」

 呆れたようにアルフォンスは言った。扉から入ってきたのは、華やかなドレスからよく見る男装姿に着替えたスザナ・ローズナーであった。

「あら、それが夜に忍んで逢いに来た女性に向かって言う事かしら?」
「忍んで逢いに、って……」
「愛しいアルフォンスにここで逢おうと言われたのよって言ったら、あなたの門番は、目を白黒させながらも通してくれたわよ」
「スザナ! あれは冗談では……」

 スザナは軽やかに声を立てて笑った。

「逢い引きにわざわざ男装に替えてくるなんておかしいわね。それに、他にも男を連れてくるなんて」

 スザナの背後からもう一人の人物が顔を見せた。従僕のような姿に身をやつしてはいるが、よく見るとそれは……

「リッター! きみまでが、一体どういうつもりなんだ?」
「無礼な真似をして申し訳ありません、アルフォンス。スザナが、どうせ気づかれるだろうけれど、ちょっとおどかしてやるのも面白い、と仰るもので」

 アルマヴィラ地方の者とよく似た黒髪だが、その瞳は透き通った蒼玉のような美しい碧い目で、何を考えているのかその感情は滅多にそこには映らない……長身の青年は、リッター・ブルーブラン公爵だった。意外な組み合わせの二人が意外な登場をした事に、アルフォンスは驚きを隠せない。だが、エクリティスは黒耀の瞳に警戒の色を見せ、表面上は静かな物腰で問うた。

「失礼ですが、どういったご用件でございますか。このような時間に公爵殿下がお二人でお見えになるなど、余程危急の事情でございますか」

 スザナはともかく、リッターとアルフォンスはそれ程親しい仲ではない。前ブルーブラン公爵の嫡男は、元々リッターの兄ライカーであり、そちらの方が年齢も近く交流した年月も長い。前ブルーブラン公が長男を廃嫡して次男に爵位を譲ったのには如何なる理由があったのか、表向きはライカーの健康上の問題、という事にされているが、それが偽りである事は皆知っていても、本当の事情は明らかにされていない。そつはないが少々風変わり、と評されるリッターを、エクリティスは油断のならない人物、と捉えている。

 一方アルフォンスは、ブルーブラン家の事情は分からないが、親子の間でそのように取り決めがなされて王家も認めた事であるから、新しいブルーブラン家の主となったリッターと親しく交流すべきだと考えている。七公爵は心を合わせて王家に尽くさなければならない。領地や権力を争い合った八公国時代の遺恨は既に遙か昔のものなのであるから、シャサールのような上に立とうとする心はなくし、互いに助け合うのが理想である。とは言え、その七公爵の一人エーリクが暗殺された今、確かに無条件にリッターを信用する訳にもいかなかった。まだ詳しく事情を説明していないが、エクリティスはエーリク・グリンサム公の身に尋常でない事が起こった事は察している。主を護る為、深夜の来訪者に警戒するのはむしろ当然の事である。だが、あえてアルフォンスは気さくな風で、

「スザナの悪ふざけは子どもの頃までで収まったものと思っていたが、この目出度き夜に、ふと童心に返ったのだろうか? それにしても、そんな悪ふざけに付き合うとはリッター、きみも酔狂な。独り身のきみには、待っている女性も大勢いるだろうに」

 とエクリティスを軽く制しながら返した。するとスザナが、

「わたくしもそう言ったのよ。だけどリッターが、貴婦人が夜中に一人歩きなど、いかな宮中と言えども危ない、と言い張ってついてきたのよ」

 と言う。

「それは確かにその通りだ。スザナ、きみの騎士団長はいったい何をしているんだ?」
「わたくしだって今は独り身。今夜くらい羽を伸ばして楽しみたいから、子ども達の方についていなさい、と命じておいたわ。わたくしに自分自身を守る力がある事を彼は知っているし、エーリクに起きた事は知らないから、それでわたくしは一夜の自由を手に入れたという訳よ。勿論彼は、わたくしはローズナー公宮で誰かと過ごしていると思っているわ」
「なるほど。で、リッターは、スザナと二人でいる所を見られないように従僕に身をやつしたと? そこまでせずとも良かったろうに」
「では、何故あなたはそんなおかしな恰好をしているのです、アルフォンス?」

 粗末な町人風のローブを着込んだアルフォンスが顔を隠してしまえば最早誰一人、これが先程まで舞踏会で注目を浴びていた美々しい大貴族だとは思いもすまい。だが、この姿でルーン公宮の公爵の私室に立っているのは、確かに何ともちぐはぐで妙な感じしかしない。

「わたしは、実はこれから忍びで町に出ようとしていたんだ」

 ここまではもう認めざるを得なかった。

「だから何か用件があるのなら率直に言ってくれないか。恐らくきみたちは……」

 最初の驚きから冷めるとすぐに、二人がわざわざ忍んで来た理由に思い当たった。

「解るでしょ、アルフォンス。わたくし、エーリクの事、全く納得出来ないの。彼は暗殺されたの? そうなんでしょ」

 スザナはずばりと核心を突いてきた。

「私もそれを疑問に思っています。私たちは本当に、打ち合わせて来た訳ではないのです。私はただ、誰にも知られず内密にあなたとお話ししたかったので、用を言いつけられた従僕という芝居をしようとしたのです。万が一誰かに見つかってしまったら、余興という事にしようと。すると、スザナが着替えて一人でローズナー公宮からこちらへ向かっているのを見かけたので、同じ目的と直感し、彼女に付いてきたんです」

 とリッターも言う。

「何故それをわたしに聞くんだ。エーリクから何も聞いていないとさっき言ったじゃないか」

 二人の言い分は理解出来た。大貴族が暗殺されるなど、この政情が安定した王国では百年以上も記録にない。そのような事が起きたかも知れないと思えば、理由を知っておかねば次は己が狙われかねないと気になるのはむしろ当然の心情であろう。だが、エーリクのあの口の堅さ、秘密が洩れるのをあれ程恐れていた事を思えば、事情を話すのは二人を同じ危険に巻き込む結果にしかならない。危険を背負い込むのは自分一人で充分である。

「とぼけないで。それはエーリクが息を引き取る時の事でしょう。その前にあなたはエーリクと二人で話して何か聞いた筈。それに、宰相閣下に呼ばれてエーリクの所へ行った時も」
「エーリクは何か心配事を抱えていた、それは確かだ。しかしそれが何なのかは結局彼の口から聞けなかった。ルルアに誓ってこれは真実だ」
「でも、イサーナどのに会って何かを聞いた筈よ。そう、あなたにも分かってはいない……だから、それを調べに行こうとしているのね」
「決めつけないでくれ。イサーナどのはエーリクの死の哀しみのあまり全く冷静ではなかった。何も話なんか出来る状態じゃなかったんだ。わたしが出かけようとしている事とエーリクの事は何も関係ない!」
「じゃあ、それもルルアに誓えるの?」
「…………」

 幼馴染みの気安さもあって、スザナは容赦なくアルフォンスを追い詰める。元々嘘をつくのが得意ではなかったアルフォンスは、子どもの頃、よくこうやって口の達者なスザナに言い負かされていた。だが、今はもう二人は子どもではない。長い年月を宮廷で過ごし、アルフォンスも馬鹿正直なだけでは到底大貴族として務まらない事くらいは骨身に沁みている。

「何故そんな事までいちいち誓いを立てなければならないんだ。わたしの言う事が信じられないのなら、これ以上の話は無意味だ」

 突っぱねようとするアルフォンスに、スザナは今度は下手に出て、懇願するように両手を組み合わせた。

「アルフォンス。今は滅多にない機会なのよ。誰にも知られず公爵が直に密談出来る時は滅多にないわ。この王都ではどこにでも宰相閣下の配下の目が光っているもの。今夜くらいよ、祭りに紛れて人知れず行動出来るのは」
「スザナの仰る通りです。エーリクが暗殺されたならば、我々はその理由を知っておかねばなりません。このままでは、調べにより真実が明らかになったとしても、暗殺など最初からなかったのだという宰相閣下のお言葉で全ては闇に葬り去られてしまうでしょう」

 リッターもいつになく強い口調でスザナの言葉を支持する。

「宰相閣下は、我々が知るべきだと思われた事はお伝え下さるだろう」
「それはそうかも知れないわ。でも、宰相閣下が『私たちが知っておくべき事』と判断される事だけが、実際に知っておくべき事だとは限らないわ。わたくしは知りたいの。エーリクの為にも」
「エーリクは誰にも知られたくないと何度も言っていたんだ。知る事自体が危険なんだ。知らずに済ませれば、恐らく我々がエーリクのようになる事はない」

 時間は限られているというのに、いつまでも埒のあかない問答を続けている訳にはいかない。強情なスザナに対して、アルフォンスはこう言うしかなくなっていた。だが、それはスザナが待っていた言葉でもあった。

「それでもあなたは知る為に行くんでしょう」

 誤魔化すのは無理なようだった。

「……ああ。だけど、これは雲を掴むような話だし、行っても何もない可能性も高い」
「何もなければ危険もないわ。わたくしも一緒に連れて行って」
「私も同行を希望します」
「何かあったら危険なんだと言っているだろう!」

 二人の即座の申し出に、何故この危険が解らないのかとアルフォンスは苛立った。だがさすがに預言の事を口にする訳にはいかない。

「大貴族が三人も揃って危険な場所にのこのこ出向いて、何かあったら王国は、それぞれの家はどうなると思うんだ!」
「あら、じゃああなた一人ならどうなってもいいと言うの? 逆に、三人もいればさすがに相手も手を出せないかも知れないわ」
「それは極めて楽観的な考え方だ。現にわたしが一緒にいた時でさえ、エーリクは曲者に射られかけたんだ」
「まあ! いつ?」
「庭園に出た時だ」

 これで納得してくれれば良いがと思ったが、スザナはそれでも、

「だけどあなたが護ったんでしょう? だったら大丈夫よ。それにわたくし、常日頃から武の腕前は衰えないように磨いているつもりよ」

 と言い張る。

「同じようにうまく行くとは限らない。きみの身に何かあっては、わたしはローズナー家に対してどう償えばいいか解らない。とにかく駄目だ、帰ってくれ。何か解ったら後日報告するから」
「嫌よ、帰らないわ」
「きみは不法侵入しているんだ。これ以上ごちゃごちゃ言うなら、きみの騎士団長に引き取りに来てもらうからな!」

 遂にはアルフォンスも喧嘩腰になった。勿論、その根底には、二人を決して巻き込む訳にはいかないという思いがある。だがその時、リッターが言った。

「女性のスザナを危険な目に遭わせるのは確かに同意しかねますが、私は構わないでしょう」
「リッター、きみには跡継ぎもいないだろう。大事な身体だ」
「なに、私がどうかなれば、元通りに兄が家を継ぐでしょう。いいですか、アルフォンス、今の話を伺って、私は益々知らねばならないと思いました。そもそも、庭園でまでエーリクを見張っているような敵なら、もう我々が接触した事にも気づいているかも知れません。そんな敵に立ち向かうには、やはり相手を知らねばなりません。あなた一人を行かせる訳にはいきませんよ。私はこれでも少しは腕も立ちますから、お役に立てる事もあるかも知れませんし。あなたに私の行動を止める権利はない筈です。私を連れて行くのがどうしてもお嫌ならば、私は一人で後からこっそりつけていきます」

 アルフォンスは思わず天を仰いだ。

「なんて頑固なんだ。きみがそんなに強情とは知らなかった」
「決意を曲げないのは、私の風流ですから」
「男女は関係なくてよ。わたくしを一人置いて行って、わたくしの方が暗殺されてしまったら、アルフォンス、あなた後悔するわよ」