「なんだこれは! 一体なにごとなんだ!」
 アルフォンスの足下の男の死体を見て、王家の騎士団長の眉間の皺は深くなった。足から血を流してこときれている覆面の男……あきらかに不法侵入者であるとみてとれたが、それでも騎士団長はすぐに人を呼ぼうとはせずに、鳶色の目に懸念のいろをありありと浮かべながら大股にアルフォンスに歩み寄った。
「この最高の慶事の晩にこれはまたどういう事なのだ? いやそれより、まさか怪我を負ったりしていないだろうな?」
「見ての通り、わたしはぴんぴんしている」
「しかしひどい恰好だぞ」
 先程エーリクを庇った際にアルフォンスの衣装は砂埃にまみれ、髪も乱れている。かれは溜息をついて砂を払い、髪を束ね直した。そんなかれの様子を騎士団長ウルミスはじっと観察している。それから、おもむろに死体の覆面を引き下ろし、まだ若い男の顔を眺めた。黒い髪に黒い瞳……アルマヴィラ人の特徴である。ウルミスは顔を顰めた。アルフォンスも苦い表情になる。
「ウルミス、なぜここに?」
「夜気にあたりに出たのだ……素晴らしい夜で、少々美酒に酔ってしまったから、醒まそうと。妙な気配に反応したのは身にしみついた習慣さ、わかるだろう? 王宮内の警備は管轄外ではあっても、ただの逢い引きとも思えぬ不穏なものに気付けば素通りできる筈もないだろう」
「それはそうだろうな」
 アルフォンスは頷きながらも、この場をどのように収めるか素早く考えを巡らせていた。ウルミスは古くからの友人で信頼できる人間だという事は解っている。だが彼は、ヴェルサリアの紋章を戴く王の剣『金獅子騎士団』の長、王国の全ての騎士団の頂点に立つ将軍である。その立場上、王家に仇なす可能性のあるものを見逃す事は絶対に出来ないのだ。しかし、エーリクはあれ程、内密にと懇願していたし、その理由も内容も解らない現状では、アルフォンス自身もこの騒ぎを公のものにしたくはなかった。
「一体何があったのか説明してくれ。この男はきみが仕留めたのか? そもそも、きみこそなぜこんな所にいるのだ。ファルとユーリィがかなり人目をひきつけていたが、ルーン公が長く座を外していると訝しまれるぞ」
「手短に済ませる筈が、なぜだかこんな事になってしまってね」
 答えながらも、確かにその通りだと思う。ほんの少しの間、人々の目がまだあちこちに向かないうちにさっと話を聞き出して戻るつもりであったのに、かなり時間が過ぎてしまった。アルフォンスは、ある程度まで率直に打ち明けて話を終わらせようと決めた。
「何者かに呼び出されてここへ来たんだが、正直、この者がなぜ襲ってきたのやらさっぱり解らないんだ。わたしが仕留めた訳ではない。逃れられぬと悟って自害したのだ。止めようとしたが間に合わなかった。だが、これは王家に対する陰謀ではないように思う。この素晴らしき夜に不吉な影を射したくない。調べは後々内密に行う事にして、ひとまず騒ぎにならないよう、きみの裁量でこの場を収めてくれないか」
 とにかく、死体が見つかり騒ぎになってはよくないだろうという意を伝えたかったのだが、ウルミスは流石にすぐには首を縦に振らなかった。
「陛下に対する悪しき企みでないと言い切れる根拠があるのか? きみは何か隠しているだろう。この場にはたった今まで他に誰かいた……。無論、きみを疑う心はないが、なかった事に出来るような事でもない。よりによって今日この日に、公爵殿下が王宮内で曲者に狙われるなど!」
 ウルミスの立場と性格上、そう簡単にうんと言わない事はアルフォンスにも予測は出来ていた。自分で納得のいく事でなければ梃子でも動かない武人気質である。身分はアルフォンスの方がずっと上ではあるが、二人の間ではこのように率直に隔てのない物言いをできる友人関係を長年続けてこられたのは、互いにその気質と美点をよく知り抜いて認め合ってきたからである。親しい仲であるからこそ、ウルミスには、アルフォンスの言葉に不自然さが感じ取れてしまう。何しろ、アルフォンス自身も本当のところは事情を理解している訳ではないのだから。
「この者にはわたしを暗殺する気はなかったようだ。ただ警告するだけのつもりが、わたしが捕まえて、王宮騎士に突き出すと言った為にこんな結果になってしまった。痴れ者が庭の隅で酒が過ぎたのか死んでいた……今はそういう事にしてはもらえまいか? こんな不祥事が表沙汰になっても、祝い事に水を差すだけだ。勿論、後で知り得た事はまた伝える。陛下の警護は念の為に、それと知れぬよう強化して。結局、今出来る対処はそれしかない」
 ウルミスは少し考え込んでいたが、確かにいま騒ぎ立てても、曲者は既に死んでいるのであまり意味はないし、この大事な日に王宮の警備が甘かった事を皆に知らしめるのは、ひいては王家の権威に傷をつける事に繋がりかねない、と、アルフォンスの言う事に理があるのを認めない訳にはいかないようだった。そうである以上、アルフォンスをこれ以上足止めしていても意味はない。
「わかった。だが後日、きちんと説明してくれよ」
「勿論だ。感謝する。偶然気付いた者がきみであって本当によかった」
 アルフォンスはほっとして謝意を伝える。偶然、と言う時にウルミスの背後の木陰をちらりと見た。
「済まないが、戻らなくては」
「ああ、早く行った方がいい。きみ自身の事もあるが、ユーリィが心配だ。あの様子だと……」
 ウルミスはアルフォンスの子どもたちを生まれた頃からよく知っている。特に、いくつになっても幼げに、ウルミスおじさま、とアルマヴィラを訪問する度に喜びを露わにするユーリンダは娘のように可愛くて仕方がない、とよく言っていた。
「ありがとう」
 アルフォンスもその言葉を聞いて、あの頼りない愛娘が衆人の注視を浴びてどうしているか、急に心配になってきた。

 足早にその場を後にしたアルフォンスと入れ替わりに、ウルミスの背後の木陰から音もなく大柄な男が姿を現した。ウルミスよりやや年下と思わせるヴェルサリア騎士である。
「団長閣下、もっと事情をお聞きにならなくてよかったのですか」
 騎士は、不信感を丸顔にありありと浮かべてウルミスに問うた。彼が不信を抱くのは上司であるウルミスに対してではなく、アルフォンスに対してである。
「話を聞いていたのなら、今はこれ以上必要ないとわからないのか」
 ウルミスは振り向きもせずに騎士の問いに答えた。
「わかりません。ルーン公殿下は明らかに何か隠しておられる。後ろ暗いものがなければ、閣下に対して隠し立てなどなさらぬ筈」
「ノーシュ。ルーン公殿下は曲者に襲われた被害者であられるのだぞ。何の後ろ暗いところがあるものか」
 ウルミスは苛立ちを感じて部下を軽く睨んだ。ノーシュ・バランはウルミスの副官、金獅子騎士団の副団長である。ウルミスに心酔しており、舞踏会から離れた団長を案じて後をそっと追って来ていたのだ。その忠誠心を高く評価し、右腕として信頼を預けてはいるものの、頭が堅すぎるのが難である、というのがウルミスの下している評価である。その副団長は、尊敬する団長の不興など恐れもせずに、
「このような喜ばしき日に曲者に襲われるなどという事自体、公御自身にそのお心当たりがおありなのではないでしょうか」
 などと言う。この副官は以前からルーン公に対して好意を持っていない。確たる理由がある訳ではなく、完璧すぎて胡散臭い、というような反感程度であるようだが、今のやり取りを聞いて益々その思いを強めてしまったらしい。
「とにかく、話は後でまた公から聞いておく。ここで騒ぎ立てるのはよくないという事には同意だろう?」
「それはそうですが……」
「悪いがそなた、誰か若い者を一人呼んで、庭師が足を滑らせて死んでいる、というような事にして死体を運び出させてくれないか」
「閣下のご命令とあらば。しかし、この矢傷はどうしたのでしょうか。ルーン公殿下は弓などお持ちでなかった筈」
「公は投擲も得意だからな。あまりおおやけの場で披露された事はないと思うが」
「……某は、ルーン公殿下がそれ程の武術の達人には思えません。まして、閣下を剣で負かしたなど、この目で見ていないので信じられないのです」
 要するに、敬愛する上官を、一見優男にしか見えないアルフォンスがかつて御前試合で破ったという、宮廷内の伝説的な噂が気に入らないらしい。それが縁で長年の友情を培う事になったのに、とウルミスは心中苦笑した。
「随分な言い草だな。公は、そなたがそこに隠れていた事もちゃんと見抜いておられたぞ」
「まさか」
「そなたは思い込みが激しすぎる。わたしが負けたのは紛れもない事実だし、今でも十回打ち合えば五回は破れるだろうと思うぞ」
「そんな筈はありません。閣下がご遠慮されているだけでしょう」
「いいから、今頼んだ事をくれぐれも間違いないように」
 そう言うと、ウルミスは面倒に感じてこの不毛な議論を打ち切った。
 ……後になって、彼は、部下に対し、もっとアルフォンス・ルーン公爵という人物がどういう人間なのか知らしめておくべきだった、と思うようになるが、今はまだ、そのような時が来るとは微塵も思っていなかった。足下の死体をもう一度一瞥する。不吉を感じたが、この喜ばしい夜に似つかわしくない、とその感覚を打ち消した。そして、王の警護を強めるように指示する為に、納得していない様子の副官を残して宴へ戻って行った。