楽団が優雅な調べを奏でる中、この豪華な宴は進行していった。牛や鹿肉のロースト、茹でた豚肉のフルーツソース添え、鶉の香草焼き、兎のシチュー、鰻のパイ……数十種類もの出来たての贅沢な料理が次々と運ばれてくるし、名産地から特別に取り寄せた上質の十数種類のワインも惜しみなく饗される。国王夫妻の右側の区画には、諸外国からの使節団が賓客として並んでいたが、ヴェルサリアの洗練された様々な文化に対し、惜しみない賞賛を述べ続けていた。南のサンドリア連合、西のフェルスタン帝国、東のベイロン神聖国その他の、バルトリア大陸に近い位置関係の諸国とは、過去には国境で緊張関係が生じた時期もなくはなかったが、このところはずっと友好的な関係を保ってきており、諸国の大使は趣を凝らした多くの祝賀の品々を持参していた。細やかな彫金を施された黄金の杯や大小色とりどりの宝石が嵌め込まれた冠、玉虫色に輝く繻子の織物など、既に献上された品々が国王夫妻の背後のテーブルに並べられていたが、それらもこの大広間に元から飾られている様々な装飾品、たとえばルルア神話の織り込まれた横長の見事なタペストリー、壁際にずらりと並んだひとつひとつに宝石の嵌め込まれた黄金の燭台、非常に高い天井に描かれたルルアの国の美しい天井画など――の前では霞んでしまうようだと、客人達は囁き合っていた。かつての八公国時代にはバルトリア大陸は混乱に乗じて攻め入ろうとつけ込まれた事もあったが、ヴェルサリア王国の地盤が確立すると、古い帝国フェルスタンよりも財力も兵力も上となり、台頭していった。

 信仰上の問題については各国の見解は必ずしも同一ではなかったが、ルルア信仰は現在では多方面に広がっている。それ故に他国の人々は、『ルルアに愛されし一族』ヴィーン家の大神官やルーン家の人々を見るのをひとつの楽しみにもしていた。それ自体が光を放つような美しい黄金色の髪と瞳の組み合わせをもった人間は、世界中でもこの二家の血を濃く引く者しかいない。晩餐の間も厳めしい表情を崩さない上座の大神官をじろじろと見る訳にもいかないので、ここでも人々の注目はルーン公爵親子、特に素晴らしい乙女のユーリンダ姫に集まっていた。
『かように美しい女人がこの世におられるとは、いやはや、あのお姿を拝見しただけでも遙々来た甲斐があったもの』
『今までに見たどんなルルアの肖像よりも美しい』
 シルクウッド産の最高級のワインも進んでくると客達の口も陽気に軽くなり、あからさまな視線を投げながら囁きが交わされる。
『どのような貴公子の妻になられるのだろうか』
 声を潜めてはいたが、その複数の者から発せられた言葉の中には、王妃も美しいがユーリンダの美貌こそが最高の賞賛に値する、つまり王妃に相応しいのではないか、という無責任な感想が見え隠れしていた。給仕の者たちの中には宰相の息のかかった者が多くいて、どのような人間が何を言ったかを後で報告するように命を受けている。外国の大使の宴席での世間話が新王妃に影響を及ぼす事は無論ないが、そのような報告を受ければ宰相バロック公が良い気を持たないのも当然ではある。
 そして王妃リーリアは、注意深くこの大勢の人間を観察し、言葉自体は聞き取れなくとも、その聡く敏感な質でもってこうした空気を読んでいた。王妃は自分の美貌に絶大な自信を持っていたが、それ故にこそ、完璧に褒め称えられるべきである自分以外の女が、この晴れやかな席で注目を集めている事に激しい不快感を覚えていた。しかし勿論それを表に出すどころか誰にも微塵も気付かせず、素晴らしい新王妃という面を揺るぎもなく付け続けていた。
 このような状況に当の本人のユーリンダは微塵も気付かず、父と兄から言われた事に少しばかり緊張を解いて、若い娘らしく浮き立った気持ちで、主に兄と話しながら宴を楽しんでいる様子である。アルフォンスは和やかな会話を周囲と交わしながらも、真向かいの異国の客人達が、慎重な宮廷人達よりもっとずっと無遠慮で不躾な視線を娘に送っているのに気付かぬ筈もなく、かと言って今更娘を引っ込める訳にもいかず、ただ控えめで穏やかな普段通りの振る舞いを続けるしかなかった。異国の客達の目はかれ自身にも向けられていた。
『ヴェルサリアの七公爵……こうして並ばれると、まさにヴェルサリアの盤石の確かさを感じさせられますな』
『さよう、ややお歳をめされた方にはしっかりした後継がおられるし、ルーン公、グリンサム公、ブルーブラン公などは、20~30代の男ざかりでおられて、お若い新王陛下をお支えする態勢は揺るぎないという訳で』
『ルーン公は特に新王陛下の御信頼も篤いとか……いやそれにしても、御嫡男ともども、ルーン一族というのは男性も皆かように美丈夫でいらっしゃるのかな』
『それはもう、ルルア神の御使いの末裔だという話ですから、代々あの美しい黄金色の髪と瞳と共に神々しいような美しさも受け継いでこられたのでしょう』
『まったく、あの一画だけが眩いようですな』
 美酒に酔った客達のこうした軽口が段々大きくなってきたので、アルフォンスは内心苛々した。だが宴のほうは晩餐会から舞踏会へと移り変わろうとし始めている。数十種類にも及ぶ料理や百以上ものケーキや菓子は招待客の胃袋を充分に満たした。
「アルフォンス。後で話があるんだ」
 急にそっと背後から話しかけられて、よそに気をとられていたアルフォンスは不覚にも少しばかり驚いてしまった。
「エーリク、どうしたんだ」
 声の主は、同じ七公爵の一人、エーリク・グリンサムであった。薄い赤褐色の髪に琥珀色の瞳を持つ痩せぎすで長身の彼はアルフォンスと同年の35歳。有力な貴族の子弟はたいてい少年期に王都で学問や武術を学ぶ機会を与えられるので、年齢の近いアルフォンスとエーリクは幼馴染みのような関係であった。内気で大人しい少年だったエーリクは、虚弱の質だった事もあって剣よりも学を好み、同じ年頃でも体格がよく武芸自慢のバロック家の嫡男シャサールから嫌がらせを受ける事もしばしばだった。そんな時、いつもアルフォンスが彼を庇っていた。七公爵家の男子、特に嗣子は、将来近しく手を携えて王を支えていかねばならないという名目の元、何かと関わる機会を与えられたのだ。無論、爵位を継いだ後も王都で接する機会は少なくても年に数度はある。
 前王の急な逝去からこの即位式、結婚式までの間、大貴族たちは皆、ほぼ王都に詰めていたが、その間、会う毎にエーリクの顔色が悪くなっていく様子をアルフォンスは気にしていた。だが本人はこれまで、何でもないと言い張っていた。しかし、銀糸で細やかに刺繍された水色のびろうどの胴衣を着ている今のエーリクの整った細面は、その一張羅の衣装と同じくらい青ざめているようである。アルフォンスは心配に眉を顰め、
「今にも倒れてしまいそうだぞ。従者を呼ばせようか。休んだ方がいいのではないか」
 と声をかける。幸い、人々は少しずつ舞踏会の方へ移動を始めているところで、少々席を外しても今ならそれ程目立たないと思われた。だがエーリクは頭を振って、
「大丈夫だ、今は。だが、舞踏会の間に折をみて、どこかで少し話をしたい。さすがに舞踏会の騒ぎの間なら、そうそう宰相の目も行き届かないだろう」
「一体どういう事なんだ?」
「後で。信頼できる者はきみしかいない。すまない、助力を願いたい……。きみ自身の身にも関わる事であるし」
 それだけ言うと、エーリクはアルフォンスに問い返す暇を与えず、さっと身を翻して、先に行かせた妻子の後を追って去ってしまった。アルフォンスは素早く視線を宰相の方に向けたが、宰相バロック公は国王と談笑していて、こちらに注意を向けた風はない。
 エーリクは何に苦しめられているのだろうか? 七公爵の中では一番親しく話しやすい間柄であるし、助けて欲しいと言われれば幾らでも助力したいと思うアルフォンスである。