余り涼が見せない表情だった。


「駄目だ」


でも綺樹はペンをとらなかった。

だから涼は追い込んだ。


「サインするか、関係を終わりにして今すぐ出て行くか、だ」


綺樹が息を止めるのを見ていた。

綺樹との長い関係で、こういうずるさも覚えた。

さっき体を重ねた後に、安心して身を預けていたのを知っていた。

綺樹にとって、今の激務に自分との関係がどれだけの支えになっているか、
見極めての発言だった。

そう、今の綺樹はここから出て行けない。


「おまえは」


綺樹は紙を見つめたままだった。


「この結婚で幸せになれるの?」


涼の表情が緩んだ。


「おまえと赤の他人でいることのほうが不幸だ」


綺樹は涼を見上げた。


「逆におまえはなれないのか?」


綺樹はくちびるを結んだ。

今の涼となら、なれるかもしれない。

ペンを手に取る。

まだしばらくためらってから、殴るように書いてペンを机に叩き置いた。

涼が紙を机から取り上げる。

畳みながらまだ呆然とした表情でいる綺樹を見下ろした。

これで。

やっと、再び捕まえた。

涼は口元で歪めるようにして少し笑った。