そして晴也は、昼休みのあの時から放心状態で放課後を迎えるのだった。

なにも教室にいるのは晴也だけではない。

後ろの席では、女子生徒がひとり、存在感さえかき消さんばかりの静けさで読書をしている。

「黒田くん、君は帰らないのかい?」

 ふと、声を掛けられて晴也は眼前にしゃがんだ副担任に注目した。

「あ、神崎(かんざき)先生……」

「さっきからずっと机に伏せってたけど、どうかしたのかい」

「いや、なにもですよ」

 神崎という男の副担任は今年に新任してきたばかりで、まだ二十三歳とうら若い。

 おまけに愛想も人相も並より整っていて、なおかつ大人らしさがあるので、密かに女子の間では話題である。

「ただ、頭を回転させるのさえ、疲れたんです」

 いや、あの女子トイレの一件については、むしろ頭を働かせず、空耳だと思い過ごすほうが楽かもしれない。

「そういえば聞いたよ、君って陰陽部にはいったんだってね」

「先生、知ってるんですか?」

「一応ね。教師たちだけの秘密なんだけど」

 神崎が目をそばめてみせる。

「陰陽師だなんて、最初は信じられなかったけど、道麻くんの業績はかねがね先生たちから聞いてるんだよ」

「はあ、業績、ですか」

 ほんの数秒ばかり、吉郎の悲しげな笑顔が想起された。

 晴也が読んできた多くの本や漫画の中には、そういった怨霊調伏の場面が登場するものもあった。

退治する側の者達は褒め称えられ、決まって仕事を成し遂げた後に達成感に浸っていた。

 ―――吉郎は、退治するたびに、その面に哀調を宿しているようだ。

「以前は寮生が幽霊を見たとかで退寮することもしばしばあったんだけど、

彼が来てからは、そういうのはなくなったらしいね」

「そう聞いてます」

「僕も最初はここに来るのが心配だったんだけど、安心したよ」

 神崎はそして、甘い笑顔を灯す。

(ここに来るのが、心配だった?)

 たしかに、そりゃそうだろうな。

 誰しも恐ろしいものは怖い。

 うなづこうとして、ふと、晴也の視界の端に、緑の渡り廊下が映った。

渡り廊下には、男女が差し向いなにかを話している。

「あれは」

 呟いて、晴也はそそくさと鞄を携える。

「すいません、ぼく、急用を見つけたので」

 我ながら、変な言葉の使い方だ。

悔やみながらも、晴也は大股で渡り廊下まで駆けた。