(演劇部が芝居の練習でもやってんのかな)

 彼らがよく怒鳴る演技の練習をやっているのを、晴也は目撃したことがある。

 耳を澄ましてみる。

 おおおん、おおおおん、と。

ここから近い場所、おそらくはこの棟の中、晴也のいる地点から教室を三つ越えた辺りだろうか。

 好奇心―――なのか、晴也の足はおのずとそこへと進んでいった。

 農業科棟の出入り口から東に進み、科学実験室と三年生の教室を通り過ぎる。

―――あおおおおおん……

 心なしか、咆哮は力強さを増し、より濁った、老若男女の声が混沌した悲鳴となっていく。

(誰が叫んでんだろう)

 演技で無いとしたら、もはや気が狂っているとしか思えない。

 そこで、

「うっ、ふうっうっうっ」

 晴也は突然に止んだ絶叫と、耳の横で小さく木霊す啜り泣きの声に瞠目した。

すぐさま左手に目をくれる。

 

 女だ。




 教師だろうか。

淡白な青色の厚手コートを着、プリーツスカートに網タイツを穿いた短髪の女性である。

「あ、あのう」

 あわてて、晴也は女に駆け寄って声を掛けた。

「どうしたん、ですか?」

 女の前にしゃがみ込んで、優しく問うてみる。

女はひたすら悲観にくれて顔を手で覆い、すすり泣き続けるだけであったが、

やがて涙ながらに言葉を絞り出した。

 決して、よい言葉ではなかった。

「くろうてやる……」

 晴也は聞くや、肩をそびやかして立ち上がった。

 女の声は、女性にあるべき高い声ではない。

もっと野太くて、しかし男のようとも呼べず、もっと言ってしまえば人でも獣でもない、

おぞましい声であった。

 そして女は曲げていた背を伸ばして直立し、顔をひた隠ししていた手をどけた。

「うわっ!」

 晴也はついに腰を抜かした。

 女の顔は人の面ではない。

毛むくじゃらの、槽歯類のような顔だった。

げっそりとこそげ落ちた顎や頬の肉。

虚ろな目。

そして何らかの彼女の憎しみが具現化したような、体中に浮き出た紅い血管。

 この世のものではない。

それはまさに、晴也の眼前に居るこの女の事だ。

「おおおん……おのれ、おのれいいいい……」

 女が呟いているのは、うわごとか。

おのれ、と言っているのはすぐに分かった。

「おのれ、憎らしき人の子たちよ……」

 くっ。くっ。くっ。

 女はそこで、真紅の眼球を晴也にやった。

「おや、おや。

これは人の子、この土地の者。

自ら、わしに喰われにきおったぞい……」

 女が、やたら長い前歯を剥いた。


 こんな怪物が存在しているわけがない。

晴也は眼前に起こっている怪異を否定したかったが、

夢幻にしてはあまりにもそれは現実味があった。


 くろうてやる。

 喰らうてやる―――と、言ったのだ。

 そこまでくれば、もう自分がどうなるのかは明白だった。

(やばい)

 晴也は逃走することもできなかった。

欧米の怪物映画では、怪物に出くわした者の大半は足がすくんで動けず、殺される。

そう、まさに今の晴也である。

 そんな、動けるだろう。と映画を視聴していた時の晴也は残念に思っていたが、

なるほど、足がすくむわけも、十分に理解できた。