「かといって濡れたまま電車には乗りづらいよねぇ」
会社の前の道路を行き交うタクシーはこの雨でどれも満車。一番近くのコンビニは歩いて15分の距離。しかも、こんな雨の中走っていってもずぶ濡れだろう。そしてもう一つ言えば、そのコンビニの隣は自分が通勤に使う駅だ。
もう少し雨がやむまで中で待つべきか。
先程会社を出る前すれ違った見回りの警備員に傘があるかだけでも聞けばよかったと後悔する。
「全然やむ気配ないし……」
ケータイを取りだし天気予報のウィジェットをタップするとこの雨はまだまだ止みそうにないらしい。
ついてない。
本当についてない。
今日何度目かのため息をこぼしたとき、スッと目の前に影ができた。
「…良かったら駅まで一緒に行きますか?」
低いでもどこか落ち着く優しい声だった。
傘で顔は見えないけれど随分と背が高い。私の頭一個分は確実にあるだろうその男性に戸惑いを持った。
駅まで連れていってくれるのはとてもありがたい。けれどこんな誰かもわからない人ましてや男性に駅まで一緒に行きませんかと問われれば確実に不審だ。
「ありがたいですけどー……」
断ろうとしたとき相手の傘がツイと少し上に上がり、その下にあった顔がよく見えた。
「……ぇ…?」
言葉がうまく出なかった。
相手はニコリと少しだけ微笑み、どうしますか?と言った。
「………え、…あ…」
言葉がうまく紡げない。もどかしくて、泣きそうになった。間違いかもしれない、そう思った。掠れた、小さな吐息だけが洩れて、雨の音が大きく、それ以上に自分の心音が煩く聞こえた。
「さわむらさん…?」
ポツリと呟いた言葉に傘を傾けた男性はクスリと笑った。
「久しぶりだな、葵」
あぁ、会いたいと願った先日の帰り道を思い出した。
会って、触れたい、確かめたい、知りたい、この人と恋をしたい。そう願ったのだ。
あの頃とは随分風貌が変わってしまったけれど。笑顔だけは変わっていなかった。
雨音の中、少し遠くから、澤村さん、と幼い自分が彼を呼んだ声が聞こえた気がした。
「本当、久しぶり」

