ウィニーは、帰郷の途についていた。

 謁見会の日程は、滞りこそあったものの全て終了したのだ。

 往路と違っているのは、馬車の中にいるのが彼女一人だ、ということか。

 都にいた時間は、とても短かったはずなのに、とても長かったように思える。

 フラの公爵やスタファとの出会いは、とても素晴らしいものだった。

 公爵からは、姉宛ての手紙を預かっている。

 スタファとは、最後まで顔を合わせることはなかった。

 大事な仕事を頼んだと公爵が言っていたので、忙しくなってしまったのだろう。

 あの二人と一緒にいる時が、一番幸福だった。

 思い出すだけでも、胸の温かくなる時間。

 だが、これからウィニーは不幸の場所に戻るわけではない。

 そして、彼らとも永遠の別れではないのだ。

 謁見会は、2年おき。

 手紙だけではなく、また2年後に会えるかもしれない。

 その時に。今年のようなただの小娘ではなく、もっといい自分になって、二人と再会したいと思ったのだった。

 だが、王宮に行くということは。

 ウィニーは、右手を見た。

 白い包帯に覆われたそこは、王太子に噛まれたところ。

 また、彼と会うということである。

 2年後には、ウィニーのことなど忘れてくれていればいい。

 そう、ため息をつきながら、痛みを残す手を見つめるのだった。


 ※


 ウィニーが、ロアアールの屋敷に帰りついた時、想像していたこととしていなかったことの二つが起きていた。

 想像していたことは、姉が陣頭指揮を取って、ロアアールを守るために東奔西走していたこと。

 まだ寒いこの地で、黒いマフラーを閃かせ、あの姉が本当に走っていた。

 動きやすさを重視した、ズボンにブーツという出で立ちだ。

「おかえりなさい、ウィニー」

 いまから出かけると言わんばかりの動きで、一声だけかけて姉が玄関から従者と共に飛び出して行こうとする。

「あ、姉さん……私に手伝えることある!?」

 慣れない姉の姿を、ぽけーっと見送ろうとしている自分に気づいて、慌てて呼び止めた。

 ブーツの踵が、一瞬止まる。

「ありがとう。帰ってから話をしましょう」

 一度振り返り、姉は嬉しそうに微笑んだ。

 短い髪で少年のような出で立ちをしてはいるが、その笑顔はいままでと変わりない女性のものだった。

 それだけ言い残すと、姉は身を翻す。

 ウィニーは、わが身を振り返ってみた。

 旅路だったため、シンプルな祖母のドレス姿だ。

 わ、私もズボンにしよっかな。

 これでは、とても走りまわれそうにないからだ。

 確かクローゼットに、ほとんど着ないまま押し込まれている乗馬用の衣装があったはず。

 そう記憶を呼び起こし、ウィニーは急いで部屋に戻ろうとした。

「レイシェス! お待ちなさい!」

 だが。

 そんな彼女の平和な希望は、軽く打ち砕かれる。

 母が二階から、姉を追って出てきたからだ。

 レイシェスは、とっくに玄関を飛び出した後だというのに。

 そんな母と、ウィニーはモロにはち合わせることになる。

 うわぁ。

 心の準備は、してきたつもりだった。

 だが、いざこうして母と向かい合うと、心が縮みあがりそうだ。

 都へ行く前より痩せて顔色の悪い母は、ウィニーを見つけて驚いたように足を止めている。

 そして、だんだんと表情を険しいものへと変化させていく。

 よくある光景だった。

 いきなり会うと、まず必ず母は驚くのだ。

 赤毛が、何故この地にいるのか──どうして毎回それに驚けるのか、ウィニーには逆に不思議なほど。

 そして、その赤毛を産んだのは自分であるのだと思い出し、険しい表情になるのだろう。

 落ちついて。

 ウィニーは、自分にそう告げた。

 目の前にいるのは、王太子だと思えばいいのだ、と。

 彼にいま、自分は睨まれているのだ。

「ただいま都より戻りました……」

 王太子に、儀礼的な挨拶をするのと同じこと。

 ウィニーの脳内では、王宮の廊下が流れていた。

 この後、彼は不作法なことを言ったりしたりするかもしれない。

「お……お前など、戻ってこなければよかったものを」

 金切り声は、廊下をつんざいて飛んでいく。

 ぶるぶると言葉も身体も震わせ、変な汗さえ浮かべた王太子──いや母は、明らかなる心の病が見てとれた。

 その病的な剣幕に、侍女たちも近づけないでいる。

 ウィニーは。

 ひとつ深呼吸をした。

「戻ってまいりますよ」

 前で組んだ両手に、ぎゅっと力を込める。

 胸が、どきんどきんと跳ねるのを抑えるには、どこかに力を入れていないといけない気がしたのだ。

「だって、私はロアアールの人間ですもの」


 髪の色が──何だっていうの。