昼休み。

お弁当を家に忘れてきたために購買部へと行った。

1番安いあんパンを買って、飲み物を買いに来ていた梶君と一緒に屋上へと向かう。

「こっちの方が近道だから。」

梶君はそう言って、閉鎖されている古い階段を平気で使う。

先生に見付かったら怒られるだろうと思いながらも、私は彼の後ろに続いた。

埃っぽい階段は、歩く度にぎしぎしと音がする。

踊り場で不意に梶君が立ち止まった。

「屋上行くの、やめる?」

そう言われ、私はきょとんとした。

「でも、みんな待ってるよ?」

そう答えようとして、私は言われた意味をようやく理解した。

2人きりの状況なのだと、気付く。

梶君が遠慮がちに私へ手を伸ばしてくる。

私もゆっくりとその手を握った。

腕を引き寄せられて、私は梶君の胸板にもたれる。

「嫌だったら、突き飛ばしていいよ。」

そう言われ、私は慌てて首を横へと振る。

「別に嫌じゃない。」

答えると、梶君はちいさく笑った。




急に背後でカタンと音が聞こえ、私は慌てて振り返る。

片手に持っていたあんパンが床へと落ちた。

――どうしてこんなところにいるの……。

心の中でそう呟いた。

いつの間にか後ろへ立っていた淳君は、不機嫌そうに私たちをジッと睨んでいた。

梶君が私を離す。

「……キモ。」

淳君は小声でそう吐き捨てると、階段を上って行ってしまった。

その足音はいつもよりずっと乱暴で、私の肩を強張らせる。

梶君が困ったような表情を隠すように、片手で顔を覆った。

よりによって1番見られたくない人に見られてしまった……そう思った。

5限目教室へ戻るのが気まずいな、と途方に暮れながら、私は落としてしまったパンを緩慢な動作で拾った。




教室へと戻る途中、梶君に「気にしてる?」と言われた。

いつもなら口癖のように「気にしてないよ」と答えるところだったけれど、今日はすぐに答えられなかった。

苦笑だけで返事をすると、梶君もちいさく笑った。

お互い言葉少なめに、私たちは別れた。

教室へ入ると丁度チャイムが鳴った。

めぐちゃんが「何してたのー?」と怒ったように寄って来たので、「購買が混んでて…」と適当な言い訳をする。

先生が入って来て、「早く席につけ」と私たちに向かって怒鳴った。

慌てて自分の席に座り、私は小さく息を呑んだ。

前の席は空席で、いつもならあるはずの大きな背中がなかった。

「木山淳はどうした?
誰か聞いてないか?」

先生が教室を見渡すと、誰もが首を捻った。

「てか木山って誰。」

そんな言葉がどこかから聞こえてきた。

「知らない。そんな奴いたっけ。
顔すら覚えてないんだけど。」

あちこちから漏れるクラスメートたちの言葉に、私は耳を覆いたくなった。

欠課扱いを免れる始業15分になっても、淳君は教室へ入ってこなかった。




5限目が終わった時、Dクラスへと行ってみた。

浅井君と一緒にモバイルゲームを楽しんでいた木山君は、私に気付くとすぐに入口へと来てくれる。

「淳君が5限目いなかったから、どうしたのかと思って。
木山君知らない?」

そう私が訊ねると、木山君は不思議そうな顔で首を捻った。

「知らない。
あいつのこと俺全然興味ないしさ……。」

彼は何の悪びれもなくそう言うと、私に向かってやんわりと笑った。

木山君は特に意味もなくそう言ったのだろうけれど、クラスメートたちの先ほどの言葉があったために、彼の発言は私の気持ちをさらに暗くさせた。

――知らない。

――知らない。

誰もがそう言うほど、淳君はどうでもいい存在なのだろうか。




6限目は体育だった。

今朝女の子の日が始まってしまったため、先生に届け出を出して保健室へ行く許可をもらった。

「いいなー、綾瀬ちゃん。
今日持久走なら私も生理になりたかったよー。」

めぐちゃんがそう言うと、一緒にいた女子たちが「そういうこと言わないのー」と笑いながらなだめた。

保健室へと入り、保健医さんに届け出を出すと、ソファに座らせてもらえる。

「Aクラスの子、2人も保健室かー。
珍しいね。普段は怪我も病気もない健康なクラスなのに。」

保険医さんはそう笑いながら紅茶を淹れてくれる。

「2人?」

私が聞き返すと、彼女はカーテンの閉まったベッドを指さす。

「クラスメートじゃない?
木山君。」

その言葉に、私は慌ててテーブルに置かれた来室記録を見る。

「木山淳 吐き気」

右肩上がりの神経質な字で、そう書かれていた。

「まぁ、生理は病気じゃないんだけどね。」

保険医さんはそう言いながら、湯たんぽやブランケット、紅茶……温かくなるものを用意してくれた。




授業が始まって10分ほど経った時だった。

めぐちゃんが保健室へと入って来た。

「先生が記録係が欲しいから綾瀬ちゃんに来て欲しいって。」

そう言われ、私は慌ててソファを立つ。

保健室から出ようとしたところで、保険医さんがめぐちゃんを呼び止めた。

「木山君は行かなくていいの?」

振り返るめぐちゃんは、あからさまに不機嫌な表情を浮かべ、「は?木山淳いるの?」と低い声で言った。

ずっと閉まっていたカーテンが開いて、淳君が顔を出す。

「うるせーよ、性格ブス。」

負けじと不機嫌そうな表情を浮かべて彼はめぐちゃんにそう言うと、上履きを履いてベッドから下りて来る。

退室記録に名前を書き込むと、彼はサッサと保健室を出て行ってしまった。

慌ててその後を追おうとした私の袖を、めぐちゃんが引っ張る。

「いいよ、どうせあいつ仮病だし。」

めぐちゃんに手を引かれ、私はグラウンドへと向かった。

そこには淳君の姿はなく、またも彼は欠課扱いにされてしまっていた。