「き、機嫌直して梶君!」

前の席の風野が授業中に振り返って困ったような笑顔で言って来た。

風野にこう頼まれてまでへそを曲げているほどガキでもないのだけれど、さっきの流れからして俺がすぐに機嫌を直してしまうというのもどうかと思う。

「別に、怒ってないよ、風野には全然」

俺が言うと、日野が呆れたように言う。

「他の野郎共には怒ってるって言い方しやがって…」

「いや、実際怒ってるんだよ、特に木山!」

俺がそう指をさしかかったところで、木山がスッと手を上げた。

授業をしていた先生がパッと振り返り、「どうした?」と木山に言う。

「ちょっと、外出て来ていいですか」

木山の言葉に先生はポカンとした後、「うん、良いぞ」と答えた。

了承を貰うと、木山は音も立てずに席を立って教室から出て行ってしまった。

「またサボリか?」

中西の声に猿渡が「中西黙れ!」と一喝していた。



一応怒っているわけだから、一々心配する義理もない。

ないのだけれど。

そこまで怒っている訳ではけしてない訳で。

「先生、俺もトイレ」

俺はそう言うと先生が返事をする前にサッサと立ち上がり、教室を出た。

男子トイレへと入って行くと、案の定木山の姿があった。

「大丈夫か」

俺が声を掛けると、木山はパッと顔を上げる。

最大限に捻っていた蛇口を締めて、木山は「大丈夫」と答えた。

「ていうか梶、今授業中じゃね?」

ヘラヘラと笑いながら言われ、ムッとしながらも「そうだね」と答える。

「お前も、一応授業中なんだけどな」

俺が言うと、木山も「そうだね」と言ってから無言になった。

木山が制服の袖で口を拭こうとするので、慌ててその肩を掴んだ。

「それ制服汚れるから!ハンカチ貸すから!」

ハンカチを差し出すと、木山は「えー」と迷惑そうに顔を顰める。

「人様のハンカチ汚すより自分の制服汚してた方がまだマシなんだけど」

「お前そういうこと言うなよ!」

売り言葉に買い言葉でまた言ってしまい、一瞬で後悔する。

反省を知らないと言われても仕方ないな、と少しだけ思ってしまった。

ムリヤリハンカチを押し付けると、木山は結局受け取ってくれた。



保険医さん不在の保健室は妙に静かだった。

ベッドを無断で使うのはさすがに気が引けて、ソファに木山を寝かせた。

「木山、吐いた時は左向きじゃなくて、右向きに寝るんだよ。
心臓上にして、左腕は下」

寝転がろうとする木山に慌てて教えると、木山は転がり直しながら「何それ」と言った。

「去年の保健の授業で習っただろ。
腹が痛い時とか吐いた時とかの寝方だよ」

そう言いながら、「あ、こいつ去年もサボってたわ」と思い出した。

「梶は物知りだねー」

木山はのんびりと笑いながら、目を閉じた。

「単にお前が不真面目なだけなんだけどな」

俺が言い返すと、木山は鼻で小さく笑った。

「飲み物買って来るよ。
水とお茶、どっちがいい」

声を掛けると、木山は目を閉じたまま「いらない」と答える。

「いや、飲まないと駄目だから。
脱水とかなったら困るから」

「じゃあ水道水でいいよ。
家で飲めるようなものに金払うなんて勿体ないよ」

のんびりと他人事みたいに言う木山の額を軽く指で弾き、廊下に出た。

購買の自販機でスポーツウォーターを買い、またすぐに保健室へと戻る。