そんなこと一度も思ったことない。
将来を考えて修行したわけではない。
確かに、そういう話を頂いたこともある。
本場で学べばもっと知識も増えるとか
誘いを受けたことが何度かある。
そのたび、ふと考えるとやっぱりあたしが
コーヒーを上手に淹れたいと思ったのは――――・・・・
「日和ちゃん?」
「あたし、一度思うと頑固みたいなんです。」
ターヤンさんが困ったように肩を竦めた。
「将来のために覚えたわけではないのです。
ただ単純に喜ばしたくて一生懸命覚えたこと
だから、美味しいって言わせたくてきっかけ
なんて多分そういう大したことではなかった。」
幼かったあたしにはブラックコーヒーなんて
渋くてとても美味しいとは思えなかった。
それでも、優しく手招く彼が口に運ぶ物が
気になって一口飲み込んだ。
「それってお兄さん?」
馨君がにっこりと微笑みながら聞いた。
「ご想像にお任せします。」
彼の淹れるコーヒーは何故かいつも美味しくて、
だからあたしが今度は美味しいコーヒーを
淹れるんだと密かに企んだ。
「えっ、何か逆に気になるなー?」
ターヤンさんがソファーに足を上げるのを
横目にカップに注いだコーヒーをリビングに
運んでテーブルに置いた。
「とても大事な人です。」
この温かい感情の名前をあたしは知らない。
これが恋と呼べるような代物でもないと思う。
そもそも、恋というものが理解出来ない。
「日和ちゃんにとって?」
やっちゃんさんがカップを手に取る。
「はい。」
今はどこで何をしているのかも分からないのに、
何故か不安はちっともない。
どこかできっと元気にやってくれてるって信じてるからだろう。
最後に会った日だってコーヒーの香ばしい匂いと、
ダージリンティーの香水の混じった匂いを漂わせてた。

