んで、なぜ、この時代に伊勢神宮の領地が増えるのか? 伊勢神宮の経営方針もあるんだろうけど、この時代の社会的な情勢が大きいのではないだろうか?
 律令体制の中で口分田の配給がとどこおって荘園の開墾が始まるのは、この時代のだいぶまえ前、最初は3代までの世襲(せしゅう)が許されたが、孫の代くらいに開墾した荘園はずっと自分の物となる。
 しかし、土地支配というのは簡単ではなく、いつ他人に奪われるか分からない。そこで社寺や有力貴族に、領地を寄進することによって、土地所有の担保を取ることが必要とされた。
 任国におもむく国司である受領は軽んじられて、もう少し有力な貴族が知行国主となり知行国主の富の蓄積が始まる。
 平清盛のパワー・ポリティクスの源泉になるのが、この知行国という制度である。