また、この時期に注目される、もう1つは「今伊勢」と呼ばれる現象。
 一宮市に今伊勢が存在する。『太神宮諸雑事記』にアマテラスが尾張国中嶋郡に滞在したとされる、その場所なのではないだろうか?
 他にも伊勢神宮に関わる地名がいくつかある「神戸(かんべ)」や「御厨(みくりや)」などが、それである。
 まあアマテラスの滞在は伝説的な側面もあるのだが、それらのゆかりの場所は、伊勢神宮の領地であったことが、多く指摘できるのではないだろうか?
 例えば、渥美半島にも神戸があり、伊良湖から、つけねの飽海(あくみ)まで御厨が点在していた。
 伊良湖には平重衡(しげひら)によって焼かれた東大寺大仏殿の復興の瓦を焼いた伊良湖東大寺瓦窯が存在する。
 東大寺大仏殿の復興を指揮した大勧進(だいかんじん)重源(ちょうげん)や笠置寺や興福寺で活躍した貞慶(じょうけい = この春、奈良博で特別展があった)は伊勢神宮に何度か参拝したとされる。
 まあ、伊勢神宮の本地仏が東大寺大仏の毘盧遮那如来であという認識は、この時代にはすでに在ったであろうから東大寺瓦窯だけの目的ではないにしても、伊良湖に東大寺瓦窯が存在するのは南都と三河国司との関係と言うより、伊勢神宮経由での窯業の殖産(しょくさん)と東大寺瓦窯の操業ではなかったか?(この辺は「かまくらクライシス(1)」に詳しい)
2012.0330 19:28