平家時代の〈芸能〉のあり方を少しまとめておこう。王権によっておこなわれる祭儀(祭祀と儀式)これにも式次第があり再現されるモノという芸能性がある。また祭儀の後の肆宴(しえん)や竟宴(きょうえん)と呼ばれる宴会、和歌が詠まれ管弦がなされる。芸能は王権祭儀と不可分なモノである。2012.0102 10:29:05

 前段までと話は矛盾するかもしれないが平家時代に、この〈芸能〉のカテゴリーを逸脱させた人物がいる、後白河院である。あの著名な『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は彼により著(あらわ)されることになる。今様(いまよう)・・・当世流を意味する言葉を冠する芸能のアンソロジーである。大河の中でも注目されよう。2012.0102 10:52:03

 今様のような芸能が、なぜ王権祭儀に取り込まれなかったか? それは今様が民間芸能だから。今様を媒介した集団を傀儡子(くぐつ)と呼ぶ。遊女(ゆうじょ)が水辺を拠点としていたのに対して傀儡子は陸路を中心に(2のp342)していた。現在の大垣市、美濃(みの)・青墓(あおはか)も拠点である。2012.0102 11:05:57

 青墓の傀儡女、乙前(おとまえ)は後白河院の今様の師匠(ししょう)に当たる。後白河31才、乙前67才、これが2人の初対面。乙前は承安4年(1174)に84才で亡くなる。(2のp363)この年の9月に稀代の今様合せがおこなわれる。この数字は大河を見るのにも覚えておきたい。2012.0102 11:30:42