かと言って、荘園や知行国が純然とした有力貴族や社寺の私有地であったかといえば、どうも違うらしい。相続権が、厳密に所有者の子孫には存在しないようなのである。
 後白河院が平家一門の知行国の相続を認めなかったのは、その最たる例ではあるまいか?

 このように中世という新たな中央政治の運営や地域支配、公序良俗にも大きな変革があったのではないだろうか?
 そのような中で、内宮と外宮のパワー・ポリティクスおこなわれていて、神道的言説といえども、社会構造や政治体制と無縁ではなかったのではないだろうか?
2012.0330 19:26