とあるビルの入口に地下へと続く階段がある。
その薄暗い階段を下りると私のお気に入りのバーがある。
重厚感のある扉をくぐると店内には、
いつも心地の良いスムースジャズが流れている。
「いらっしゃいませ」
少し低めの落ち着いた声の主はこのバーのオーナー。
彼はいつでもしっとりと迎えてくれる。
「エスプレッソ・マティーニを」
カウンターの椅子に座り、いつものカクテルを注文する。
彼はバーテンダーなのに珈琲を淹れるのも上手く、
私は彼の珈琲の味が特にお気に入り。
いつもながらに優雅な動きでカクテルを作る彼。
私はうっとりと彼に見惚れていた。
彼は常にポーカーフェイスで
他のお客様とも殆ど会話をしない。
このバーは1人で立ち寄り、
ゆっくり過ごす……そんな雰囲気の店。
「お待たせ致しました」
私は彼が作ってくれたカクテルに口を付けると…
「今宵はこちらをお召し上がり下さい」
「えっ?」
目の前に置かれたのは赤色から黄色に
グラデーションされた幻想的なショートカクテル。
「これは?」
「シクラメンです。今宵は貴女の心を癒して差し上げたい…」
「…へ?」
「いつも可憐な貴女が、今宵は少し凍えている。これは私からの愛の処方箋です」
…えっ?!
どうして……分かったの?
今日、私が恋人と別れた事を…。
いつも彼に合わせてばかりいた私は、
彼と別れる事を決心して…
1時間ほど前に、彼に別れを告げて来た。
「テキーラがベースですが、オレンジとレモン、グレナデンシロップで甘めにお作りしています」
初めて差し出された彼の優しさ。
グラスから彼へ視線を移すと、
とても優しく微笑む彼がいた。
私はそっとグラスを手に……口を付けた。
蕩けるように甘く、フルーティーなのに芯が熱い。
私は凍えた心が彼の優しさで、
少しずつ溶けていくのを感じた。
~FIN~