吐き気が過ぎ去ると、突然視界が開けた。私は、海岸に向かって歩いてきたのだ。ほのかな潮の匂いが、鼻腔をくすぐった。足は、その日に限って、一時間以上も主人を連れ回したのだ。少々疲労が溜まってきた足を、砂浜に向けて、滅多に訪れることのないこの場所を散策してみることにした。


夏ならば、きっと海水浴客で賑わうであろうが、今は波の音だけがこだまして、人気のないさびしい地であった。だが、その静けさが私の気を引いた。


砂の上を歩いてみると、意外に脚力が必要であった。私は砂に足を取られないように注意しながら、所々に放置された砂の城や深めに掘られた穴、かすかに煌めくシーグラスに目を細めた。


そこは、夏の脱け殻であった。ゆえに心動かされたのであったが、吹き付ける潮風は、体感温度を下げていく。私は、ポケットに突っ込んだ手を、両の頬に当ててみた。少々火照ってきたようだった。


夏を葬った海は、美しい。


そう記憶に留めておいてから、私は踵を返そうとした。


そのとき、小石や貝殻らしき物体を丁寧に拾い集める青年の背中に目が留まった。この寒空の下、ごみを拾っているのだろうか。私は思わず、彼の姿を注視した。青年は、これと思ったものを手に取ると、しばらく凝視し、おもむろに耳に当てる。やがて軽いため息をついて、拾った場所にそっと置く。その繰り返しだった。


とぼとぼと歩き、同じ動作を繰り返す、その背中に筆舌尽くしがたい苦役を負っているような彼の姿に興味を覚えた私は、少々歩みを速めて、彼に追いつくと、できるだけ何気ない風を装って声をかけた。


「なにかお探しですか」


言外に、自分も手伝いましょうか、という意味を含めていたのだが、青年はそれに気づいてくれたようだった。


「おかまいなく。僕は待っているのです」


青年は顔を上げたので、冬の薄暗い光に慣れた私の目に、彼のまぶしい容姿が映し出された。彼は、美青年、といってもよいくらい整った顔立ちだった。24、5歳くらいであろうか。しかし雰囲気はどこか落ち着いており、老成していた。黒い髪は、流行通りに茶色が混じっているようにも見えたが、染めていたのはかなり前のことらしい。今は、櫛目も目立たず、何ヵ月も切りそろえていない前髪の下から、かろうじて、ふちが少々垂れて、その気になればこぼれんばかりの愛嬌をふりまくことのできる眼が見えていた。鼻梁は高く、なかなか彫りの深い顔立ちであった。しかし私は、彼の眼に宿る光に魅入られた。それは、あふれる悲しみを強い意思の力で抑えつけているような、助けを求めたいのだが、手を差し伸べられることは諦めきっている、しかし何らかの目的のためだけに生きようとする崇高さを思わせるかすかな光であった。

「待っている?失礼ながら、何を」


彼の諦念と希望がせめぎあう眼の光に魅かれ、初対面にしては少し掘り下げた質問をぶつけてみた。すると青年は、ふっと笑みをこぼした。自嘲しているように見えた。そして、少しためらった後、やっと聞き取れるくらいの声で答えた。


「骨です。あなたはお笑いになるかもしれません。しかし、僕は骨が鳴るのを待っているのです」