霊薬の役割を担った私の足は、常日頃、通勤に利用しているバス停とは正反対の方角へ向かっていた。歩きながら、寒そうに体をすりよせている若い男女とすれ違った。軽そうなダウンコートをまとった女性が、背を伸ばすようにして、長身の男性に何やら囁き、笑っていた。


私のような、三十路の中頃に到達してなお独り身の男性ならば、もしかしたらその光景に嫉妬めいた感情を抱いたかもしれない。しかし、私は見た以上の印象は受けなかった。ただ、素顔が想像できない程に化粧を凝らしたその女性の顔が、これまで私が付き合った女性のどれもに似ているような気がして、突然軽い吐き気をもよおした。


女性、その不可思議な存在は、私のとうに過ぎ去った青春に苦々しさを加えただけであった。私は、幼い頃から本の虫で、学校の課題をこなす時間の合間に、読書のみが与えてくれる豊かな時間を味わっていた。私と本の間に、浮わついた遊びや女性との付き合い、といったものは入る隙間が一分とてなかった。

しかし、年頃になると、そんなわたしには好意を寄せてくれる女性と出会うようになった。気弱な私は、女性から一言、「お付き合いしましょう」と告白されると、たとえその意思がなくとも、峻拒することなど到底できずに、「はい」と答えるしかなかった。それは、服従としか言い様のない関係しか生み出さなかった。当然、相手は私から離れていったが、私はそのことに傷つくことなどなかったばかりか、逆に、相手に何を要求されても拒むことのできない隷属関係に終止符が打たれて解放されたことを、いたく喜んだ。そして、別れた次の瞬間には、もう相手の顔も思い出せなかった。わるい男だ。私は解放に歓喜の声をあげながらも、明らかに周囲とは違って、女性と「普通の」関係を結ぶことができない自分を責めてもいた。しかし、本を手にするとそのような悩みは、低俗なものに思えてくるので、なるべく忘れようとしていた。