あの日は、暗く重苦しい、頭の鈍重感がのしかかる典型的な冬の一日であった。毎朝必ず見ることにしている新聞の天気予想図は、等圧線が極端に狭く、頭痛持ちの癖として、肺腑の息をすべて吐ききるような、長いため息をついたことを覚えている。


締め付けられるような頭の痛みは、慣れているとはいえ、一日をより憂鬱なものにする。私はいつもの鎮痛剤を口に放り込むと、薬効が感じられるまでしばし横になることにした。


瞼を閉じてすぐに、手を組み合わせて額に当てる。まるで祈るような格好なのだが、それは少年時代からの習慣だった。手のぬくもりを患部に伝えることで、疼痛が早く治まるように、いつのころからか考え出したものらしい。他にもっと効く方法があるかもしれないと、母が縫ってくれた掌から少しはみ出るくらいの布袋(他に洒落た言い方があるのかもしれないが、残念ながら私の語彙にない)の中に、一掴みの小豆を入れて電子レンジで温め、それを額に当ててみたが、思ったような効果はなかった。


どうやら、人の手の持つ温かみという、一種独特な郷愁を誘う感覚が、痛みを抱擁し、癒してくれるのらしい、と一人で合点していた。しかし、その日はなぜか痛みはほぐれず、私は体を横たえたソフアの上で、全身の力を解放してもがきたいような衝動をこらえるのに懸命だった。


(今日が休みでよかった)


仕事のことである。本当に、癪にさわる頭痛が長引くときほど、休日でよかったと思うことはない。特に当時勤めていた塾では、受験を控えた生徒を多く担当しており、彼らの神経質なまなざし、人を蹴落とすことが奨励されており、周囲の期待を一身に背負った、あの年代特有の悲痛な目(私は彼らと接すると、あわれな雛鳥のように思えたものだ)、それが私を突き刺し、尋常ならざる緊張から生まれる異常な疲労から、持病と化した頭痛を酷くしているのは明らかであった。


(外の空気を吸ってみようか。そうすれば、早く痛みが引くかもしれない)


私の脳裏に、ふとそんな思いつきが浮かんだ。それは特に突飛な考えではなく、今までにも何度か痛みを紛らわせるために外出していた。何の目的も持たずに、ふらふらと足の赴くままに任せることが、最良の薬であった、という経験も珍しくなかった。


防寒のために仕方なくスイッチを入れたエアコンが撒き散らす、人工的なよどんだ温風から逃れ、戸外の身を切るような冷たい空気を吸おう。私は、能の気まぐれが生んだ処方箋に満足した。


そして、起毛した裏地が暖かいので愛用しているダークブラウンのコートを着込み、首にはモスグリーンの毛糸で編まれたマフラーを巻いて、頭痛に加えて風邪にまで苦しむことがないよう、丁寧に身支度をしてから、アパートのドアを押し開けた。


それは、後で思い合わせてみると、まさに運命の扉であった。