四月の十日過ぎからマシュの灯篭の明かりが灯り始めました。

昨年の秋に高野山へマシュの一周忌の供養に行ってから数日間点灯した後、まったく点かなくなったので壊れたとばかり思っておりました。
それなのに、点灯し始めると雨の日も毎日点灯しています。

何故だろう?

いつも何かあるときにのみ私に知らせてくれるように点灯していたのですが・・・

故マシュが何かを感じて私に知らせてくれているのでしょうか?

(2012年2月に追加して記入しますが、やはり知らせてくれていたのです。詳しいことはまた別に執筆するかもしれません)

この作品は故マシュに関する日記を基に執筆しましたが、その後今までに多くの方から温かい言葉を頂戴して励まされ、心から感謝しております。

通院している先生は治療を続けると、いつか楽しい思い出だけが残るようになりますと言ってくださりますが、ほんとうにそうなるのでしょうか?
今はまだ想いだすと楽しい筈の想い出も悲しくて辛いです。





死ねば故マシュと会える。
私は死んで故マシュと会える日が待ち遠しいのです。



いつまでも・・・いつまでも・・・
いつも・・・いつも・・・
故マシュを想っています。



マシュ・・・
私は覚えています。
あなたと過ごせた僅かな時間を・・・
宝石のような貴重な時間を・・・


あなたと出会えて、一緒に過ごせたことを感謝していますよ・・・




マシュ・・・
会いたいです。






私は今でも・・・

天国のマシュに・・・

会いたい・・・


マシュ・・・・・・・・