菜の花の君へ


そんな話から和音の画廊での仕事は始まったのだが、黒田にあらかじめお金を渡して手配してもらっていた和音専用のアトリエへと移動し、案内された。



「おお!これはいいところですね。
でも、予算オーバーしているんじゃありませんか?」



「まぁ、長いつきあいだからそのへんはお礼ってことでいいよ。
この先も稼がせてもらうというか、これからはこちらが全面稼ぎ頭になるんだろうからさ。」



「フフッ、黒田さんにはビジネスでは勝てないな。
僕はもともと社長には向いていないですし、これからは芸術家としてやデザイナーとして自由に作らせてもらいます。

値段はあなたがつけてください。
ただし・・・智香子が関わったものについては僕が決めます。
いいですね。」



黒田は和音の様子を静かに眺めながらつぶやいた。



「あんまり大切にしすぎると、横から泥棒に彼女をかっさらわれてしまうぞ。」



「なっ・・・!」



「これは経験者の名残惜しいつぶやきだがな・・・かわいいと思う女を芸術品のように扱ってしまったら、人間として扱う汚らしいやつに持っていかれてしまうんだよ。

彼女の中身は普通の人間ってこと。
普通の女は普通の男を選ぶ・・・。そんなあたりまえのことが見えてないものだよ。」



「智子さんとはどういうおつきあいをされていたのか、きいてもよろしいですか?」



「ああ。簡単に言い終えてしまうけどな・・・。ははは。」




 黒田は、1つ深呼吸をすると冷静な口調で話し始めた。

黒田が高校の美術部で絵を描いていた頃の高校の文化祭に智子はきて、2人は出会った。

そのとき、黒田は智子に一目ぼれしてしまったが智子の学校名も知らないまま少し時が過ぎ、美大に入ったばかりの頃に偶然、大学近くの喫茶店でアルバイトをしてみると、そこに智子がウェイトレスで働いていた。

運命的なものを感じてしまった黒田は休日に智子を誘って公園や山へデートに出かけては智子の笑顔を描いたものだった。


黒田が卒業作品を描くために1か月ほど、絵に集中している間に智子は家庭教師をしていた智香子の父親と親密な関係になってしまい、黒田が喫茶店に智子の絵を持っていったときには、智子はもういなくなっていた。



「彼女にとっては青春の1ページの思い出だったんだよな。
いろんなつきあいを経て、ひとりを選び結婚した。

皮肉なことに、相手は芸術とは無縁な大学で理数系の学生をやってから普通に会社員になったやつだった。

俺は、画廊を経営するようになって数人の女とつきあってもみたけど・・・智子を忘れさせてくれるような女には巡り会えなかった。」



「あの・・・もし、智香子と会ったら智子さんは忘れられますか?」


「どうかな。思い出すことはあるだろうけど、2人が完全に重なってしまうようなことがあったら・・・もしかしたら自分が止まらなくなるかもしれない。
そのときは・・・」



「僕はあなたを殺せないでしょうから、智香子を汚します。
でも・・・僕は彼女の泣き顔はもう見たくない。

僕も若かりしあなたと似た人物なのかもしれない・・・。」