わしゃわしゃと弟の頭を撫でてやると、半信半疑だった那智の表情が柔らかくなった。
 くすぐったそうにはにかんでいる。

(これまで那智の漢字嫌いは強い苦手意識からくるものだと思っていたが、それには理由があったんだな)

 那智は文字や数字をいつもカタチで憶えている。
 音や意味を繋げながら記憶するのは苦手にしている一方、規則性のあるカタチを憶えることは大得意。だから漢字は苦手で、数字は異常なまでに憶える能力が高い。

(そういや鳥井の携帯の暗証番号も、那智は憶えていたっけ。簡単な暗証番号だから憶えられたんだろう、と思っていたが、よく考えりゃあの時、那智は誘拐されていた。暗証番号を憶える余裕なんざ、そうはなかったはずだ)

 それでも那智は暗証番号を憶え、鳥井から携帯を奪い、俺に連絡をして助けを求めた。
 パニックになっても俺の電話番号をしっかりと憶えていた。

(今の時代、携帯の電話番号を憶えることなんざそうはない)

 俺ですら那智の携帯番号を最後まで憶えているか怪しい。
 なのに那智は、それをやってのけている。

 こんなにも近くにいるのに、俺すら知らない才能がお前にはあったんだな。

「那智くん。算数が好きなのは、お兄さんに褒められたからなの?」

 梅林が那智に疑問を投げると、益田から貰ったボールペンを取り出して、メモ帳の隅に返事を書いた。

『実家にいた頃、ご飯とか、パンとか、いつも兄さまはおれと半分してくれたけど、兄さまの方が少なかった。ちゃんと半分にしたかったから、算数をがんばろうと思ったのがキッカケかな』

 現に算数は暮らしで役立っているし、がんばって良かった。
 反面、漢字はひらがながあるからどうでもいい、と思っている、と那智。
 返事を読んだ梅林は俺に向かって、「那智くんの才能を育てたのはお兄さんですよ」と柔和に微笑んだ。

「ハーブティーも然り、数字の記憶能力や計算能力も然り、お兄さんの役に立ちたい気持ちが那智くんに才能を与えた。これはお兄さんが与え続けた愛情のカタチなのかもしれませんね」

 俺が与え続けた愛情のカタチ。
 那智に視線を投げると、「そういえばスーパーの値引き計算は得意です!」と自慢げに俺を見上げてきた。漢字はできないけど、日常的な計算なら頼って良いですからね、なんて調子のいいことを言うもんだから噴き出してしまう。

 なにかと自分を卑下にしがちな那智だ。誇れる才能が見つかって嬉しいんだろう。
 俺としても、那智が自信を持ってくれるのは嬉しいかぎり。卑下して落ち込む那智を見るのは気分的に宜しくねえしな。

(那智の才能が俺の愛情のカタチの表れだというなら、なおさら誇ってほしいもんだ)


 ハーブティーを堪能して1時間。
 俺は那智と、おまけで福島を連れて心理療法(セラピー)室を後にした。
 この1時間はずっとお茶会をしていたわけじゃなく、嫌々ながらも福島に那智の相手を頼んでいる間、俺は梅林から那智の様子や心労、例のニュース速報、そして警察の連絡について話を聞いた。

 鳥井が搬送された病院は県外で、俺たちのアパートからずいぶんと距離がある。
 だから鳥井が逃走と聞いても、今のところ警戒心を抱いたところで終わっている。油断はできねえがな。チェリー・チェリー・ボーイが動いているということは、いつどこで那智が狙われるかも分からん。俺と違って、あいつは未だに『300万』の値札を付けられている。

 那智の様子は表向きちっとも変わらないが、警察は那智の様子を気に掛けていたそうな。
 本当は益田や柴木、勝呂が那智の下へ向かう予定だったそうだが、警察はいまてんてこ舞い。
 鳥井の逃走はもちろん、(フクロウ)が大手の病院のトイレで銃殺されたことで、緊急任務に追われていることだろう。今夜は事件に付きっ切りになるに違いない。まあ、べつにどうでもいいけど。俺が危惧するのは那智だけだ。