四二七五「天地のようにずっと万代(の天皇)に、お造りし奉ろう黒酒・白酒を」文屋智努(智努王) 2011.1005
・新嘗会の肆宴のおりに孝謙天皇からの求めで作られた歌。白酒(しろき)はどぶろく、黒酒(くろき)は清酒。智努は薬師寺の仏足石歌碑に関与とも。
・白酒(しろき)は、どぶろくと言うが最近ではマッコリの方が入手しやすいのかも?

四二八四「新たな年の初めに気の合ったダチとたむろっていると、嬉しいものだな」道祖王(ふなどのおおきみ) 2011.1221
・天武−新田部−道祖王。753年正月4日の石上宅嗣宅での宴会での歌。石上麻呂−乙麻呂−宅嗣。道祖をふなどと読ませる神神習合。

四二九一「ウチの庭の清浄な笹の群竹に吹く風の音のかすかさ。この夕方なんだな」大伴家持 2011.1215・2012.0314。
・753年2月23日に大伴家持が作った歌。旧暦2月は仲春。歌群の中にはウグイス、ヒバリ、千鳥など鳥の鳴き声も読み込まれている。順接な春のよろこびより春憂。
・「家持は、晩年の27年間歌を残していません」残さなかったのか? 残らなかったのか? 『萬葉集』の成立と、その前後の所在。光仁朝初期には原萬葉集は宮中の宝庫にあったのでは? 解説に晩年の家持は詳しい。

四二九二「うららかな日差しの春の日にヒバリが飛ぶが、心は悲しい。1人でものを思っているから」大伴家持 2011.0408
・万葉文化館蔵の上村松篁の「春悠(しゅんゆう)」の本歌。大伴氏の栄枯盛衰と家持という時代。