四〇二八「妻に逢えなくて永くなってしまった。饒石川(にぎしがわ)の清い浅瀬の度に水占いをしていきたい」大伴家持 2009.0202
・天平20:748年、越中国司の家持が諸郡を巡航した時の歌。饒石川は現在の仁岸川【註】職務と歌枕。

四〇二九「珠洲(すず)の海を朝に船出して漕いでやって来ると、長浜の浦には月が照っていた」大伴家持 2011.0831
・家持の越中国内での歌群は天平時代の国司の職務を復元するのに便利なのでは? と思いつつ、なかなか集められてない。近くで講演会ないかな?

四〇六〇「月が(出るのを)待って家に帰ろう。私が(髪に)刺している赤みをおびた橘が照らされて見えるから」粟田女王 2011.1010
・橘諸兄の宅での肆宴(とよのあかり)の時の歌。肆宴は天皇主催の宴「肆」には連ねるの意。平安の月の禁忌、東西文化交流?

四〇八〇「普通の人が「恋」って言うよりも思いが余って、私は死にそうになってしまったのではないか」大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ) 2011.0415
・恋愛関係でどちらが相手のことを好きかで喧嘩になるなんて笑い話もあるくらい恋は不思議。