三八二六「蓮の葉はこのようにあるもの。オキマロの家にあるものは里芋の葉であるらしい」長意吉麻呂 2011.0520・2011.1021
・正岡子規の写生主義。現代の俳句を牽引する原動力にもなっている。前期萬葉が皇族・貴人のクロニクルなのに対して、後期萬葉は官僚の日常生活その代表歌。
・「万葉料理教室」今回は里芋。里芋と対をなすのが山芋か? イモというと「糧の主体」というような意味か? 芥川の「芋がゆ」が現代の感覚だと、どうしてもサツマイモになるが里芋でしょ。丸みから月と類他性能。

三八二九「ポン酢にノビルを混ぜ合わせた(タレで)タイをお願いしたい。僕には見えてくれるな!ミズアオイの吸い物」長意吉麻呂 2009.0114
・酢、醤(ひしお)、蒜(ひる)、水葱(なぎ)の題を詠みこんだ歌。ヒシオは野菜、魚、肉、穀物を原料にする醤油。

三八三六「奈良山のコノテカシワの両A面のように。とにもかくにも佞人(ねいじん)のヤツ」消奈行文 2011.1026
・森浩一氏が古写本を示して佞人を倭(俀)人だとする歌。西本願寺本を見ると「子チケヒト」と訓じられている事が判る。享受の段階ではすでに佞人。

三八三七「雨でも降っていたのか? ハスの葉に、たまった水が宝石のように見える」右兵衛 2011.0916
・ひさかたのは雨を導く枕詞。鯛をハスの干し葉につつみ、ほど蒸しにする。ほど蒸しは地面の穴に食物を入れ熾火(おきび)で蒸し上げる方法。

三八五一「心を無何有(むがう)の郷に置いていれば藐孤射(まこや)の山を見られるのも近いだろう」 2012.0216
・無何有の郷は無心の境地の譬え、藐孤射の山は神仙の住む安楽郷、ともに荘子に見える。老子、荘子は道教とも呼ばれる。三角縁神獣鏡の世界。