三五八〇「君が行く海辺の宿に霧が立ったのなら私が思いをはせ、ため息をついた、その息だと感じてください」遣新羅使人の妻 2011.0622
・極私的な贈答歌だが736年の遣新羅使という政治・外交的側面を重ね合わせると深い。日本と新羅との関係が緊張していく過程。

三六二四「我らだけが夜に船をこいでいると思っていたら沖の方で梶の音がするのである」遣新羅使人 2011.0727
・萬葉歌の中には単数と複数が曖昧な歌もあり複数にしてみた。736年の遣新羅使が長門浦から船出する月夜に詠まれた。巻十五の前半は船旅の歌日誌。

三六九六「新羅へか? 家に帰るのか? 壱岐(行き)島、行こうとする方法も考えがおよばないのに」六鯖(むさば) 2012.0124
・遣新羅使が壱岐島で雪宅満(ゆきのやかまろ)の急死に見舞われた時の挽歌の反歌。六鯖は六人部鯖麻呂の略記とも。

三七二八「奈良の大通りは行きよいけれど、この山道は行きにくいことだ」中臣宅守 2011.0701
・万葉歴史館の館長の都大路のコラム。人麻呂歌集の一二八〇も同時に紹介。古代の官道については近年の発掘調査によって地方でも整然としていたとされる。

三七六〇「寝るための夜は多くあるのに、物思いに沈まず心やすく寝る夜は少しもないものだ」中臣宅守 2011.0427
・中臣宅守が配流先の越前で詠んだ。夜に心やすく眠る普通が非日常な境遇・心理。

三八一〇「おいしいご飯を水のようにかみ砕いて発酵させて私は待っていたのに甲斐はまったく無かった。直接(にアナタが来たの)ではなかったのだから」娘子(おとめ) 2011.1216
・万葉料理教室「酒」萬葉時代の酒は噛み酒で口の中の酵素を利用したもの。