三〇八六「逆に人間でなかったら蚕にもなりたいものだ、命あるかぎり」 2011.0602
・蚕が引き合いに出されるのは、それだけ身近であったのだろう。ちなみに弥生中期は新年代では前1世紀くらい? 輪廻転生も動的平衡で解釈を試みている。自我の連続性って危ういんだよね。

三一〇一「紫を(染色するには)灰を入れるものです。海石榴市(つばきち)の幾重もの交差点で会った(あの)娘は誰?」 2009.0130
・海石榴市は【註】藤原京遷都以前の市場であり交通の要所でもあった。紫は高貴な色の象徴。

三一七五「和歌浦で袖さえ濡れて忘れ貝を拾ったのだが。あの娘(こ)は忘れられなくて」 2011.0509
・4句の中間切れで訳してみる。和歌浦を萬葉時代は若の浦と書くのは解説に詳しい。はたして忘れ貝は二枚貝なのだろうか? アワビのような一枚貝は片思いの象徴になる。蛤?

三三一二「泊瀬の小さな国に夜這いをなさる私の天皇よ。奥の寝床に母が寝ています戸の前の寝床に父が寝ています起きて立てば母に知られます出て行こうとすると父に知られます夜は明けていってしまいます、こんなにも思うようにならない隠し妻なの」 2011.1205