五四「巨勢山のつらなるツバキ、つらつらと見ながら想像しよう! 巨勢の春の野を」坂門人足(さかとのひとたり) 2012.0117
・701年9月の持統上皇の紀伊国への行幸の際の歌。巨勢は奈良・御所市付近、和歌山へのルート上にあたる。つらつらと巨勢の反復。
六三「さあ皆の衆! 早速に日本へ。大伴の三津の浜の松のように(皆)待ちこがれている」山上憶良 2012.0313
・ひのもとという音に古くは日下の字を当てていた。日下には東の果ての意味があるので嫌って日本と改めたのでは? 6世紀初頭には日下の謂が存在した。
六四「葦のはえる水辺をいく鴨の重ねた羽に霜が降りている。(こんな)寒い夜は大和が思われる」志貴皇子 2012.0116
・慶雲3年の難波宮への行幸のおりの志貴皇子の歌。当時の大阪は食い倒れでも天下の台所でもなく、ただ寒さが思われる難波田舎であった。写生と空想の妙。
六七「旅をしていて、もの恋しいのにツルの声も聞こえてこないものなら哀愁で死にそう」高安大嶋 2009.0105
・701年9月の持統上皇の紀伊国への行幸の際の歌。巨勢は奈良・御所市付近、和歌山へのルート上にあたる。つらつらと巨勢の反復。
六三「さあ皆の衆! 早速に日本へ。大伴の三津の浜の松のように(皆)待ちこがれている」山上憶良 2012.0313
・ひのもとという音に古くは日下の字を当てていた。日下には東の果ての意味があるので嫌って日本と改めたのでは? 6世紀初頭には日下の謂が存在した。
六四「葦のはえる水辺をいく鴨の重ねた羽に霜が降りている。(こんな)寒い夜は大和が思われる」志貴皇子 2012.0116
・慶雲3年の難波宮への行幸のおりの志貴皇子の歌。当時の大阪は食い倒れでも天下の台所でもなく、ただ寒さが思われる難波田舎であった。写生と空想の妙。
六七「旅をしていて、もの恋しいのにツルの声も聞こえてこないものなら哀愁で死にそう」高安大嶋 2009.0105



