一七五九「」高橋虫麻呂 2012.0110
・筑波山の泉(モハキツ)でおこなわれた嬥歌(かがひ)に取材した長歌。嬥歌は春の花、秋のモミジの下で、男女が歌をかわし踊ったとされる行事。作者が都人なのでかもだが性の解放に、必ずしも現実味がない理想化された東国?

一七七七「君がいなければ、なぜ着飾る必要があるの? ツゲでできたキレイなクシも手に取ろうとも思わない」播磨娘子 2011.0526
・くしげなるは黄楊(ツゲ)の小櫛を導く枕詞的に解釈できるか? 小櫛のをは劣勢を示す接頭語だがクシの性格上、精巧のような美辞なのでは?

一八〇七「」高橋虫麻呂 2012.0221
・真間の手児名の伝説の歌。葛飾は下総国、千葉県埼玉県東京の葛飾区を含む広がりの地域。手児名は多くの男に求婚され、あぐねて自死を選ぶ。四三一、三三八四~三三八七も真間の手児名の歌。美女と、その耽美性という説話。

一八〇八「葛飾の真間の井戸を見ると足場が固まる(ほど何度も)水をくんだだろう手児奈が思われる」高橋虫麻呂 2009.0209
・長歌の反歌。真間の手児奈(ままのてごな)という伝説を詠んだ。

一八〇三「語り継がれているだけでもこんなに恋しいのに。直接に見ていた昔のオトコ」田辺福麻呂歌集 2011.0928
・芦屋の菟原処女(うないおとめ)に取材した歌。〈菟原処女〉という話形自体が当時のジェンダーを示していると思う。記号化・理想化された女性像。

一八八〇「春日野のまばらなチガヤの上で気の置けないダチと遊ぶ今日の日は忘れられないよね」 2011.1007
・萬葉時代の行楽について。見ること触ることの呪術性を指摘、感染呪術。二一二一も紹介。春日野と高円は萬葉時代からの行楽地。高円はお墓も多いよね。