一六九九「巨椋(おぐら)の入江が騒がしい。伏見の田んぼに雁が飛来したらしい」柿本人麻呂歌集 2012.0228
・射目人(いめひと)のは伏見を導く枕詞。伏見と言えば餅をまとにする縁起を思い出す。巨椋池は鴨川の下流、伏見から宇治くらいの池。漢字の借字の話。

一七一四「落ちたぎっている流れる水の磐に触れて留まっている淀みに月の光を見る」 2011.0518
・現代語訳の限界だよね。「水の瀬音。映る月光」の方が歌意と芸術性を考えたら適切にさえ思える。なるべく補足語を少なくして文法も崩さずにを心がけている。原文参照を!
・吉野離宮への行幸のおりの歌とされる。吉野は奈良県の南部。離宮とあるように天皇が訪れるための宮があった。吉野川沿いの吉野町宮滝あたり。瀬音と月。

一七三八「」高橋虫麻呂 2011.1020
・しながとりは安房を梓弓はスエを玉鉾のは道を導く枕詞。スガルというハチの名前が腰細を連想させる、今で言うボンキュボン。小子部スガルを思い出す。解説は人の名前、一人称であるのと同時に他人を指すのが名前。
・雄略朝の小子部スガルと壬申の乱の小子部サヒチ。同じ小子部の姓と相似する人生。

一七四〇「」高橋虫麻呂 2009.0122・2011.0426
・萬葉集の浦島伝説。
・高橋虫麻呂による浦島子の長歌。浦島太郎についてはウィキがうまいことまとめてる。

一七四三「ナンパ橋の先に家があれば超カワイイ独り行く、あの娘にホテルとして貸したいのに」高橋虫麻呂 2011.0621
・長歌の反歌。片足羽川の大橋。心悲久はアハレシクは近い。悲哀より洗練に近い語では?