一四一五「「玉梓の」という私の妻は玉になってしまったのだろうか。静寂な山辺に撒(ま)いたら散ってしまった」 2011.0418
・「玉梓の」は妹(いも = 妻)を導く枕詞。妻を火葬し散骨した情景を描く。持統の火葬は有名。骨(舎利)と玉(宝珠)の相似は以後も続く。

一四二四「春の野にスミレを摘もうと来た私は。野原に親近感を感じて一晩、寝てしまった」 2012.0229
・山部赤人。春の野の生命力と、それを取り込もうとした萬葉人の生命感。山部宿禰(すくね)赤人は史書に見えない事から五位以下の下級官人とされる。長歌の人。

一四二九「」2012.0301
・若宮年魚麻呂が声に出し誦んだ歌。梅の春は光の春で桜の時期にやっと暖かさとして春を感じられる。梅が多く詠まれるが植生として桜は少なくなかったのでは? うきたつ心。

一四三〇「去年の春、出会った君が恋しくて。桜の花は迎えているようだ」 2011.0504・2012.0301
・一四二九の反歌。解説ではコノハナサクヤヒメが桜神か梅神かの検討。神話体系の成立時期にも関わる問題。古今集時代には梅神との享受か?

一四三一「百済野の萩の枯れ枝に春を待っているといたウグイスは鳴いたのであろうか?」山部赤人 2012.0202
・百済野は葛城郡広陵町とも藤原京大極殿付近ともいう。百済大寺を桜井市の吉備池廃寺に比定する説もあり、広陵町から桜井市一帯が百済なのか点在したか。

一四四一「一面をくもらせて雪は降っている。そんな中、我が家の庭にウグイスが鳴いている」大伴家持 2012.0126
・雪が冬、ウグイスが春を象徴し、その共存に妙を得ている。家持の作歌において通底する着眼。雪の表情は降り方や地域によって違う。