一〇〇七「ものも言わない木にさえ妹と兄があるというのに。ただ独りっ子である苦しさ」市原王 2011.1019
・志貴皇子−春日王−安貴王−市原王。春日王の異母兄弟が光仁天皇(白壁王)。光仁の即位の前後で鑑賞が大きく異なる。聖武を頂点に天武系の衰退。

一〇一三「あらかじめ君が来るんだって知ってたら門にも庭にも玉砂利を敷きましたものを」門部王 2011.0826
・客人を迎える作法のコラム。客を迎えるのは神を迎えるのに準じる。神の依り代、結界、黒木の仮屋。聖武の一六三八、家持の四〇八六も併せて紹介。

一〇一四「おとといも昨日も今日も、お会いしたのに。明日さえ会いたいアナタなんだ」橘文成(あやなり) 2011.0406
・宴の席で返答として返した歌。橘氏というと解説にあるように一〇〇九の聖武の御歌が有名。橘という永遠性を象徴する氏名と裏腹の運命。

一〇一八
「(貝の中に胎納されている)真珠は世間に知られてない知らなくてもいい、知らなくても私だけが知っていれば(その価値を世間は)知らなくてもいい」元興寺の僧 2009.0113
・旋頭歌(五七七五七七)。独り悟りを開き知識も豊富であった元興寺の僧の作。

一〇四二「一本松が、どれくらい年代が経過しているのか?吹いている風の音の清浄さは年による深みだな」市原王 2009.0107
・天平16:744年に活道(いくぢ)岡に登り宴会をおこなった時の歌。志貴皇子−春日王−安貴王−市原王。聖武の彷徨の、つかのま。

一〇四五「世間が通常のないものだと今ぞ思い知った。奈良の都の変化を見れば」 2012.0302
・奈良時代と言うと常に都は奈良にあったと思われるが天平時代、聖武天皇によって都は転々とする。壬申の乱の再現とも。この流転の中で大仏建立が企画される事になる