八八〇「ひなびた場所に5年住んでいると、都ぶりなしぐさも忘れてしまった」山上憶良 2009.0129
・天ざかるは鄙(ひな)を導く枕詞。天平2・730年、筑前国司の憶良の作。大宝元:701年遣唐少録。天平5年に74歳で没したとされる。『類聚歌林』の編者。

八九〇「出て行った日数を数えながら今日か今日かと私を待っているであろう父母たちは、もう」山上憶良 2012.0315
・相撲の使として旅の途中で死んだ大伴君熊凝を悼んで詠んだ歌。八九一が2012.0214。琴風の逸話が熊凝の悲哀を増す。テキストの解説が今月号秀逸。

八九一「一生のうちに再び会えない父母を置いて長の私の別れになってしまった」山上憶良 2012.0214
・731年に相撲の使として旅の途中で死んだ大伴君熊凝を悼んで詠んだ歌。熊凝は肥後国益城郡の人。大伴という姓は中央の大伴宿祢との関係が注目される。

八九二「」山上憶良 2009.0204
・貧窮問答歌と題される長歌。堅塩(かたしお)については粗悪な塩とする説と塩を焼き固めかたくしたものの2説がある。寒い夜、暖をとるのにも不自由する、天地を恨む、竈(かまど)には火の痕跡もなく、夜もなお里長の声。