野趣好萬葉集(ワイルドヨロズハ)

二五五「鄙(ひな)の地の長い道のりを恋しんでやって来ると明石海峡よりヤマトの山々が見えた」柿本人麻呂 2011.0512・2012.0112
・天ざかるは鄙を導く枕詞。二五四と併せて往復の歌になっている。明石の門(と)の水にまつわるトの音は興味深い。トはツにも通じる。港のトでも。
・歌聖としての人麻呂は『古今和歌集』の「仮名序」に始まる。現在よく知られる人麻呂の図像は『十訓抄』や『古今著聞集』に藤原兼房の夢に示現したのが始めらしい。「火止まる」との音通から防火の神にも。

二六四「宇治川の漁のための杭に、はばまれる水流の行方もわからないものだ」柿本人麻呂 2011.0726
・もののふのは八十宇治川を導く枕詞。もののふは武官、文官を問わない官吏のこととも。持統天皇の命で近江を訪れた時に詠んだ歌とも。旧都の荒廃と羈旅の旅愁。

二六六「琵琶湖の夕波千鳥、お前が鳴けば心もしみじみと昔を思い出させる」柿本人麻呂 2011.0616
・いわゆる「駒のいななき」に始まる古代音韻の探求。テキストに歌のローマナイズがあるとより解りやすいのでは? 近江大津という古の都。天智朝という時代。人麻呂の人物。
・近江と人麻呂に旅愁のみ思うと間違える。大官大寺式というか旧山田寺仏頭式というか盛唐様式には近江の工人も関与が?