主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【短編集】※次作鋭意考案中※

人と百鬼との間には明確な線引きがある。


まず家屋に侵入してはいけない。

あまつさえ食ってもいけないし、話しかけてもいけない。

その契約は古より存在していて、そのせいで朧の捜索は難航していた。


ーーそれを知っている朧は、湯をもらって身体を拭いた後、布団を被って部屋の隅で息を押し殺していた。

気配を悟られないよう深く呼吸をして、自身の存在を無いように仕向ける。

…これは父や雪男に教わり、蝶よ花よと育てられつつも処世術は余すことなく教わっていたため大いに役立っていた、がーー


「別嬪さん、ちといいかい」


「…はい」


小さく返事をすると、小太郎も小綺麗になっていて、手には酒瓶が。

酒のせいで痛い目に遭った朧は差し出された酒を拒否して正座をすると、頭を下げた。


「私のような不審者に親切にして頂いてありがとうございます」


「いやなに、あんたみたいな美人だったらしょっぺえ旅も華やぐってもんよ。だがなあ…名くらいは教えてくれてもいいんじゃないかい?」


…ごもっともであり、これから南下するにあたって長旅になる。
小太郎はじっと待ってくれていたので仕方なく条件をつけた。


「他の人たちの前では呼ばないで頂けますか?」


「ん、別嬪さんで通すとしよう。で?名は?」


「朧、と申します」


ーー主さま一家の真名が一般庶民の耳にまで入ることはまずない。

呼んだが最後、どんなに離れていてもその声を聞きつけて殺しにやってくるーー意にそぐわない者に呼ばれたならば。


「朧、ね。いい名だ。じゃ、別嬪さん、早く寝なよ。明日も早いぜ」


「はい、おやすみなさい」


明かりのついていない薄暗く狭い部屋で朧が微笑む。
笠を被らず、顔の泥も落とした素顔の朧を見た小太郎は、ぽろっと盃を落として絶句した。


「あ、あんた、ほんとに別嬪さんだな」


「ふふ、ありがとうございます」


そしてまた息を押し殺して窓に目をやる。


…外から妖の気配がした。

きっと追っ手が来たに違いない。


「逃げ切ってみせる…」


その囁きは見惚れている小太郎の耳に届かず、朧は静かに目を閉じた。