人の体温で火傷してしまう雪男の身体は夏場に弱いが、今はもう秋だ。

あの頃とは明らかに違う涼しい風を感じ、番傘越しに空を見上げた雪男は、主さまと息吹が夫婦になった今も、息吹への想いを捨てることはなかった。


「もう夫婦喧嘩とかはしたのか?」


「えっ?う、うん、それっぽいものは昨日…」


「ふうん。じゃあ俺が入り込む余地は…」


「…餓鬼が。そういう台詞はもう少し育ってから言え」


「あ、俺が育ったら息吹を口説いていいわけだ?悪いけど俺、容赦しないぜ。いいのか?」


大した自信だ。

確かに雪男は女たちに人気があったが、何分愛想が無く告白をされたとしてもまともに受諾したことがない。


…あの時身体が溶けるその瞬間まで意識があっただろうに…命が尽きる瞬間を感じたはずなのに、こうやって戻って来たのは…息吹のためだ。

それをすごいと思うし内心憧憬さえ感じていた主さまは、縁側に戻って来た雪男の青い髪を櫛で梳いてやっている息吹を横目で睨みつつ鼻を鳴らした。


「お前が容赦せず挑戦してきても無駄なこと。息吹は俺を愛している」


「ちょ…、主さま!?恥ずかしいからやめて!」


「へえ、1ケ月の間に随分自信がついたんだな主さま。でも息吹が俺にときめいてたってのも事実だし?今はこんななりだけど元に戻ったら…覚えとけよ」


童子姿のあどけない笑顔で笑いかけられた息吹がどきっとすると、主さまは息吹の手を引っ張って立たせて雪男を激しく見下ろした。


「お前こそ覚えておけ。いいか、今にすぐ子ができる。戻って来たお前を歓迎はするが息吹を困らせるな。その時は百鬼から抜けさせる」


「わかった。じゃあ困らせない方法で息吹を口説くことにする」


「…」


ああ言えば、こう言う――

だがそんな会話を楽しんでいるのもまた事実。


「雪ちゃん、私は主さまと夫婦になったの。だから…」


「だから何?夫婦になったとしても関係ないし。俺はお前を守るために戻って来たんだ。…主さまと約束した通り、困らせないように頑張るけど俺だって男だし。我慢できない時あるし」


「…お前…今から殺してやろうか?」


じわりと殺気を滲ませた主さまの間合いから飛び退った雪男は番傘の先端を主さまに向けて身構えるとにやりと笑った。


「やってやろうじゃん。来い!」


「ちょ、ちょっと主さま!雪ちゃん!喧嘩しないで!」


――日常が戻って来た。

主さまは雪男が限りなく小さな声で囁いた言葉を聴きとっていた。


“主さま、俺頑張るから”と。


…百鬼夜行に出ている間、息吹を守るのは雪男だ。

主さまは挑発されたふりをして腰を上げながらも、笑みを浮かべていた。

焦っていたのは、息吹だけだった。


日常が戻って来た。

主さまは限りなく小さな声で雪男に囁いた。


“息吹を頼む”と。


涼しい秋の風が3人を取り巻き、吹き抜けて行った。


(氷の涙 【完】)