そう言ったあとで男の人は私の目をジッと見つめた。その黒目の中は公園の街灯の光が反射していて、キラキラと輝いてみえる。

本当にこの人はなんなんだろう。

だれにも真似できない空気を持っていて、それが嫌いではない自分が悔しい。


「……よし。おいで」

なにかを決意したようにまた私の腕を引っ張った。さっきよりも弱い力で、まるで私に判断を決めさせるみたいに。

今なら腕を振りほどいて逃げられるし、名前も知らない人に付いて行くなんてどうかしてる。


「行こう。――ノラ」

私に向けられた名前はきっとさっきの猫の名前。


本当にどうかしてる。

私をノラなんて呼んで、からかってるつもりなの?


でもね、私には名前がない。だからそんな名前でもちょっと嬉しかったよ。一瞬でも私じゃない別の人になれた気がして。


「……それなら今度はアンタの名前教えてよ」


私は腕を握られたまま、振りほどかなかった。


「サクって呼んで」


〝サク〟

きっと本名じゃないと、直感で思った。


名前も素性も不明で、知っているのは泣けるくらい素敵な歌を歌うってことだけ。

それでもサクの手を離せない私は、ただ引っ張られるがまま後に付いて行くしかなかった。