雑賀一族を束ねるは当主、孫市。

その名が長くに渡って書物に残っていることから、孫市という名は一族の主となるべく者が名乗ったのではないかという説が存在する。





実際、石山本願寺の求めに応じ、鉄砲戦術で織田信長を10年苦しめたとされるは雑賀孫市重秀。


また関ヶ原の戦いで西軍についたのは雑賀孫市重朝。





この戦で惨敗した西軍はそれぞれ土地をとられ、行き場を無くした。


重朝もそのひとりで、さらには精鋭が募る『雑賀衆』をもつ雑賀一族を恐れた徳川家康によって一族もろとも命の危険を被ることになる。




その間に重朝は病死し、雑賀一族には実質当主が消えてしまった。


しかし、彼の妻であった美祢が孕んでいた子が重朝が亡くなったとに生まれた。