「なんで走らないの?」
「かけっこ、楽しいよ!」
「ハルちゃんも走れよ」
先生が、ちょうどいないときだった。
春の運動会のための練習。
入ったばかりの幼稚園。
3月に、4歳になったばかりの小さなわたし。
できたての、同じクラスのお友だちと一緒に、体操服を着て、外に出た。
それだけでも十分、楽しくてワクワクしていた。
その上、先生はかけっこのゴールテープまで持たせてくれた。
「ハルちゃん、一緒に走ろう!」
……困ったなぁ。
陽菜は、走っちゃダメよ。
お友だちが元気に走ってるからって、陽菜は絶対に、真似しちゃダメよ。
お約束してね。
息ができなくなって、心臓が痛くなって、大変なことになるからね。
ママの声が、脳裏に浮かんでは消える。
「ハルちゃん!」
お友だちは、じれったくて仕方ないというように、大きな声で、わたしを呼んだ。
ふと、空を見上げると、とっても青く澄んでいた。
白い雲が2つだけ、ぽっかりと浮かんでいた。
「ほら!」
あ。
声を上げる間もなく、ゴールテープはシュッと手のひらからすり抜け、男の子の手に移った。
テープのなくなった手を開いて、手のひらを見る。
先生、持っててねって言ったのに。
「ほら、来いよ」
たったった、と足音が遠ざかったと思ったら、遠くから、明るい声。
前を見ると、少し離れたところに、男の子が二人でゴールテープを持って、立っていた。
その向こうに、鉄棒と滑り台が見えた。
「ハルちゃん!」
鉄棒と滑り台の上には、やっぱり青い空。
どこまでも澄んだ青い空。
ママの「ダメ!」って言う声が、聞こえた気がした。
でも、気がついたら、
「うん!」
って、元気に応えてた。
なんだか、走れるような気がしたんだ。
みんなが、はるなにもできるよって、言ってるような気がして。
そうして、わたしは大きく息を吸うと、生まれて初めて、走り出した。



