「仕方ないって……」
悪いことじゃないのなら、あんな侮蔑の視線を投げられるわけがない。
悪いことじゃないのなら、あんな場所で何年も苦痛を味わわされるわけがない。
悪いことじゃないのなら――こんな目に合っているわけがない。
異常だから、人間としての価値が無いから。だから此処に居るのだ。
「キミ、自分で考えた?」
壁に填まっている姿見の前で一つに結った髪の崩れを点検するエナの声は気安い。
自身の心境との温度差は不自然さえ感じさせ、無防備に背を向けている彼女の行動は少年に困惑しか齎さない。
「……考えるまでもないよ。人は、人なんて食べないんだ。だから僕は人じゃない。人じゃないから……」
「価値が無い?」
鏡越しに目が合い少年は頷いた。ふ、とエナの視線が逸れる。
「それがキミの言う“悟り”?」
こんなものまであるんだ、と化粧台を物色しながら言ったエナの言葉に、そんなことも言ったことを思い出す。
あの時も彼女は一瞬ではあったが深く沈みこんだような顔をした。それまでの場違いな明るさで振舞うエナの印象を覆したからよく覚えている。そして、その後に言われた言葉も。
「どうせ……免罪符だって言いたいんでしょ」
――その免罪符に縋ると、楽?
あの台詞が自身にどんな衝撃を与えたか、彼女は知らない。
「ん、まぁね」
エナはそう言って唇に紅を差す。甘い芳香が少し薄れた。
「でも、人が美味しそうに見えるなんて……食べたいなんて……こんなの……誰がどう見ても、化け物じゃないか!」
――がしゃん! 言い放った自身の声を、けたたましい音が掻き消し、少年は全身を硬直させた。
「……っ!」
エナが姿見に化粧台を振り下ろしたのだ。
一点を中心に無数の皹が入った鏡。
化粧台がただの木片となって彼女の周囲に散らばった。
同時に先ほどの比ではない甘い香りが飛散した。
むせ返りそうな甘さに感じたのは圧倒的な存在感。
「……化け物、か」
元化粧台の脚を手に呟いた彼女が浮かべたのはひっそりとした笑みだった。
「――じゃあ、あたしだって、そうだ」
揺れる燈篭の火に映し出される陰影。
振り返った彼女の頬に首に走った傷が恐ろしい程に映える静かな蒼い双眸が、冬の空気のように凛と澄み渡る光を湛えて少年を射抜いた。
悪いことじゃないのなら、あんな侮蔑の視線を投げられるわけがない。
悪いことじゃないのなら、あんな場所で何年も苦痛を味わわされるわけがない。
悪いことじゃないのなら――こんな目に合っているわけがない。
異常だから、人間としての価値が無いから。だから此処に居るのだ。
「キミ、自分で考えた?」
壁に填まっている姿見の前で一つに結った髪の崩れを点検するエナの声は気安い。
自身の心境との温度差は不自然さえ感じさせ、無防備に背を向けている彼女の行動は少年に困惑しか齎さない。
「……考えるまでもないよ。人は、人なんて食べないんだ。だから僕は人じゃない。人じゃないから……」
「価値が無い?」
鏡越しに目が合い少年は頷いた。ふ、とエナの視線が逸れる。
「それがキミの言う“悟り”?」
こんなものまであるんだ、と化粧台を物色しながら言ったエナの言葉に、そんなことも言ったことを思い出す。
あの時も彼女は一瞬ではあったが深く沈みこんだような顔をした。それまでの場違いな明るさで振舞うエナの印象を覆したからよく覚えている。そして、その後に言われた言葉も。
「どうせ……免罪符だって言いたいんでしょ」
――その免罪符に縋ると、楽?
あの台詞が自身にどんな衝撃を与えたか、彼女は知らない。
「ん、まぁね」
エナはそう言って唇に紅を差す。甘い芳香が少し薄れた。
「でも、人が美味しそうに見えるなんて……食べたいなんて……こんなの……誰がどう見ても、化け物じゃないか!」
――がしゃん! 言い放った自身の声を、けたたましい音が掻き消し、少年は全身を硬直させた。
「……っ!」
エナが姿見に化粧台を振り下ろしたのだ。
一点を中心に無数の皹が入った鏡。
化粧台がただの木片となって彼女の周囲に散らばった。
同時に先ほどの比ではない甘い香りが飛散した。
むせ返りそうな甘さに感じたのは圧倒的な存在感。
「……化け物、か」
元化粧台の脚を手に呟いた彼女が浮かべたのはひっそりとした笑みだった。
「――じゃあ、あたしだって、そうだ」
揺れる燈篭の火に映し出される陰影。
振り返った彼女の頬に首に走った傷が恐ろしい程に映える静かな蒼い双眸が、冬の空気のように凛と澄み渡る光を湛えて少年を射抜いた。

