緋色の暗殺者 The Best BondS-4

「……と、いうわけだ。エナちゃんに嫌われたくないからな。俺の恋路のために回れ右してくれると助かるんだけど」
 視線を隻眼の男に戻したジストの言葉に、男は眉根に皺を寄せて鼻を鳴らす。
「はっ、恋路? そうか、それが鬼石を得る為の便宜か。色でどうにかしようなど、とことん下衆だな。ふざけやがって」
 引く気はないのだろう。苛々しているのも見て取れる。だが男はすぐに飛びかかってきたりはしない。
 亡霊と呼ぶ程に得体の知れない縁者の情報を集めることを優先しているからなのか、ただ畏れているのか、それとも他に目的があるからなのかは定かではないが、男は針穴に通す糸のようでいて絶対的な隙を伺っているように見えた。
「俺は真面目も真面目、大真面目だよ。っていうか何、鬼石って。ああ、それのことなの?」
 エナが自身の水晶を指すと、ジストは初めて鬼石の名を耳にしたような反応をしたあとに鼻でせせら笑った。
「たかが石のために、こんなにせっせと口説くわけないだろう。馬鹿にしてんの、お前」
 その“たかが石”を欲する男は嘲笑という形で顔を歪める。その表情はやはりどことなくジストと似ている。
「馬鹿にもするさ。曲りなりにも壱の輝石の後継者だ。望めば何だって手に入れることが出来るだろう。そんな男が入れあげるのが、こんな貧相な娘だと? 有り得ない」
 貧相で悪かったな、というエナの心の声を読み取ったかのようにジストはエナを見てくすりと笑った。
「まあ、確かに? 何だって手に入ってきたさ。だからエナちゃんに惹かれるんだってこと、……お前にはわからんよな。可哀想に」
「こんな娘に引っ掛かるくらいなら、わからなくて結構だ」
 壱の輝石の後継者。この単語には一切触れずにジストは言葉を返した。
 ジストといい隻眼の男といい、こちらが気になる部分を見事に避けて会話してくれるものだ。エナが胸中に抱えるもやもやしたものは、きっとそんなまだるっこしい会話のせいだ。隻眼の男の台詞が地味に心を抉っているからではない――筈だ。
「何を勘違いしているのか知らんが、俺が鬼石なんぞを必要とするとでも? くれると言うなら貰ってやらんこともないが、俺から何かを欲した覚えなどないよ。勿論、これだってな」
 ジストが親指で紅水晶の鎖を掬い上げた途端、隻眼の男に激しい憎悪が宿った。
 彼はおそらく本当に長い長い時間、其れを求めてきたのだろう。それこそが人生と呼べてしまう程に。
 他の何かを削ってまで求めたものを、ジストは必要ないという。
 今までの自分を否定されたも同然の言葉に眦(マナジリ)がつり上がるのは当然のことだとエナは思う。
 だがジストが悪いことを言ったとも思わなかった。彼は彼で自分のものさしで言っているだけだ。言い方には悪意があったかもしれないけれど。
 黙っているエナに視線を流したジストが、意味ありげに笑った。
「でも、エナちゃんは欲しいな」
「あたしは物じゃない」
 憮然とそう答えればジストは上機嫌に喉を鳴らす。
「ざーんねん」
 そう言った彼がとった行動は、予想の範疇を大きく越えたものだった。
「!?」
 弧を描いて隻眼の男の手元に渡った其れをエナは間の抜けた顔で追った。
「な、んのつもりだ?」
 男の手には紅の水晶が乗っかっている。 ジストは肩を竦めた。
「欲しいんだろう? くれてやるさ。だから、エナちゃんから手を引け」
 それを聞いてエナは狼狽に声を荒げた。
「ちょっ……! 何勝手に……!!」
 咄嗟に紅の水晶に向かって飛び掛かろうとしていた。“取り返さなければ”その一心で。
 だがそんな腕をジストが掴む。エナは動きを止められ、鋭い眼差しで振り返った。
「放せ馬鹿! 大事なもの、そんな簡単に……っ!!」
 自分のせいで誰かが何かを失うのは嫌だ。
 大事な何かを手放すのは絶対に嫌だ。
「嫌だね。エナちゃん以上に大切なものなんてないんだもの。ジストさん、一途でしょ」
「ふざけ……っ!!」
 噛み付く勢いのエナを見てジストは満足したように微笑んだ。
 こういうときエナは、ジストの精神構造に疑問を抱く。満足そうな理由が全くもってわからない。
 思うようにならず苛立ちを募らせるエナの頬をジストは満足そうな表情のまま摘まんで引っ張った。
 結構遠慮の無い力で摘ままれてエナは「いひゃい!」と抵抗し、その手を退ける。
「……ふざけてなんていないさ。別に大切にしていたものじゃない。棄てるほどの理由もなかったというだけの話だ」
 落ち着いた声音にエナは奥歯を噛み締めた。
 大切にしていないものをジストが肌身離さず身につけるだろうか。
 棄てる理由がないからといって所持しつづけるような人だっただろうか。不要なものをわざわざ持ち続けるようなタイプだっただろうか。そうではないように、エナは思う。
けれど、それが果たして真実なのかどうかエナには確かめる術がない。
 ジストの人となりを知っているつもりになっていたが、いざとなるとまるで知らないことに気付く。
「男が守りたいって言ってるんだから、たまには守られててよ、お姫様?」
 語尾を上げて片目を瞑る茶目っ気たっぷりのジストに声を投げたのはエナではなく、この場に居るもう一人の男。
「……馬鹿め。この価値をわかっていないのか?」
 隻眼からすればそれは願ってもない奇跡だったはずだ。リスクを負わずして、欲するものの一つを手にすることができたのだから。
 だが、何の代償もなく手にしたものは人を不安にさせる。それまでの道程が困難であればあるほど、だ。
はたしてそれは隻眼の男にも当てはまった。
 男が探るように言った台詞を、ジストは耐えられないといったふうに笑った。
 その様子に嘘や誤魔化しが見受けられないことに隻眼の男は更に惑う。
「それの価値なんざ、どうでもいいな。言ったろう? 俺はただ恋路を邪魔して欲しくないんだよ」
 茶目っ気は残しつつしっとりとした色気も放ちながら、ジストは兄弟に見せつけるようにエナを抱き寄せた。
 守られててよ。その台詞を思い返しながらエナはジストを見上げる。彼の本心を探りたくて。
 勿論そんなことで本心が暴けるくらい彼の面の皮は薄く出来ていないのだけれど。
「……本気でその娘を好いているとでも?」
 欠片も信じていない声にジストは面倒臭そうに渋面した。
「だから、はじめからそう言ってるだろうが。……あれ? その顔。もしかしてエナちゃんも信じてない? 酷いなあ。いい加減信じてくれてもいいのに」
 傷付いたとでも言うように眉を下げたジストが余りにも自然だったから、エナは改めて“胡散臭い”というレッテルを貼り、ジストから視線を外す。
「……」
 隻眼の男は紅の水晶に視線を下ろしていた。エナが見つめていることに気付いた男は一瞬視線を上げたが、更にしばし水晶を見つめると其れを強く握りしめた。
「……まあいい。今、無駄な体力を使うのは避けたい。貴様の酔狂に感謝するとしよう」
 彼の中の損得勘定もしくは優先順位はそう結論付けたようだ。本音を言えば不本意なのかもしれない。自分に言い聞かせているように聞こえたのはおそらく気のせいではないだろう。
「娘。その書物、大事に持っていろ。いずれおまえごと、必ず取り返しに行くからな」
「おいこら。俺はエナちゃんから手を引けと……」
 エナはジストを遮り、隻眼の男に指を突き付けて声を張る。
「あんたも! その水晶と呼笛、大事に持ってな。あたしが取り返す。必ず」
 やれるものならやってみろとばかりに隻眼の男は鼻で笑った。
 そのとき、だった。
 近くで爆発音が響き、それと共に地面が揺れた。
 シャンデリアのクリスタルがぶつかり合ってがしゃりがしゃりと音をたてる。
「なに!?」
「! ……始まったか」
 男は天井をぐるりと見回すと踵を返し、奥の扉へと向かう。
 扉に手を掛け、男は思い出したように振り返った。
「死なれては困るからな。娘。一つ教えてやる。この屋敷は潰れる。此処から出るなら玄関には向かうな。逃げ遅れるぞ」
 嘘はないと見て取ったエナは頷く。
「……わかった」
 そこへ第二弾の轟音が響いた。食器を飾っている棚の硝子がびりびりと音をたてる。――先程より少し遠いか。
 扉の奥へと姿を消した隻眼の男を見届けるとエナはジストを振り返る。
「急ごう。あたしたちも。ゼルたち、捜さないと」
 壁に皹(ヒビ)が走る。
 長年にわたり人知れずオークションが行われてきた屋敷は今にも崩れんとしていた。
「えーーーー。放っときゃいいのに」
「えー、じゃない!」
 本気で嫌がるジストを怒鳴り付け、エナは部屋を飛び出した。