しかし、もう光は遅いのだ。親、兄弟、友人――持っていた全てをあの世界に置いてきてしまったのだからもう遅い。


黙ってしまった光を見かねてか、その男は布団の脇に座り込み、膝に頬杖をついて光を真っ直ぐに見つめた。


「てめえ、どこから来た」


「……え」


咄嗟に光は答えることが出来ず、彼の顔をじっと見つめ返す。彼の視線に鋭いものの存在を認めれば、光は気まずげに視線を落とす。


(……何て答えよう……でも、この人が助けてくれたなら、制服や持ち物も見たんだよね……? だとしたら、怪しんでる?)


「やけに見慣れねえ格好だったから異人かと思えば、普通に日本語を話す。着替えさせれば、やはり奇っ怪な着物。

その癖、死にそうな状態だった」


異人。


日本が鎖国をしていて対外には閉鎖的だったこの時代、外国人は異人と呼ばれ、広く忌み嫌われていたのだ。


時に国内で流行する伝染病は、日本国内に侵入し、大手を振って闊歩する異人が居るからだ、と言われる程であった。


彼の視線もそれらしきものがあり、光は慌てて首を左右に振る。
「あたしは異人ではありません!」


「日本人だと? なら、どこの国生まれだ。親兄弟は? あの奇っ怪な着物はどこで手に入れた?」


「それは……」


思わず口ごもる。この時代の国とは、未来での都道府県に近い。ならば“江戸”と言うのが理に適っているが、江戸について聞かれてしまえば、何も答えられない。


親兄弟や制服は、この時代には存在しないものである。誤魔化しようにも“誤魔化し方”というものを知らない光は、無言を貫いた。


「……」


「……そうか。なら聞かねえ。俺は役人じゃねえんだ。行く所が無いなら此処にいろ」


光は拍子抜けした。この後、延々に続く尋問が待ち受けていると思ったのだが、今となっては単に男の興味が薄れた様子にしか見えないのだ。


気が抜けた光は、自分のいでたちを見直し、「あの……あたしの着替えをした人は、貴方ですか? その……」と言い辛そうに言葉を漏らした。


「餓鬼に興味は無いから安心しろ」


男は初めて笑みを見せた。細くなった目から鋭い色が垣間見え、光は何度も頷いた。察するに、不名誉なことを言われて怒っているらしい。


どうやらこの男、怒りを覚えると笑うようだ。平素が無表情なだけに、珍しい笑みは余計に恐ろしいだろうな、と身震いした。