「どうしたの?」

 ソファーが沈んだのを感じドキッと心臓が跳ねる。ジャックはリモコンを手に取りテレビを消すと、バーボンウィスキーが注がれているロックグラスをテーブルに置いた。

「考え事? 何も映ってない画面ずっと見てたね」
「……あ、ううん。仕事、終わった?」
「うん、やっと解放されたよ」

 両腕を思いっきり上に伸ばす。一気に脱力するとそのまま叶子の肩を抱いた。
 それに合わせるようにジャックの肩に頭を預ける叶子のその仕草を見たジャックの顔から笑みが零れた。

「随分時間がかかったなぁ」
「今日はいつもより早く終わった方じゃない?」
「そうじゃなくて」

 もう一方の手で叶子の髪を耳にかき上げると、そのまま耳から下あごを顔の輪郭にそって指でゆっくりとなぞる。

「僕が肩を抱いたら君が自然と寄り添ってくれるようになるのが、って事」
「……。」

 言葉を失っている叶子の顎を掬うと、そっとやさしい口づけが降って来た。軽く食む様にして重なった口唇。口唇が触れ合ったままの状態で薄っすらと目を開いた。

「今日……泊まってく?」

 鼻先が触れ合う距離で言われジャックの吐息が口唇を掠める。胸の鼓動が早くなるのを感じていると叶子の返事を待たずして、彼女のシャツのボタンに手を掛けていた。

「……っ、あの! 明日、朝早くから大事な会議があるの。も、もう帰らなきゃ」

 ジャックの腕の中から逃れる様に慌てて立ち上がると、視線を合わす事も出来ずに背中を向けたまま帰り支度を始めた。

「……こないだも同じ事言ってたよ?」
「――っ、し、しょっちゅう朝一からあるの、皆嫌がってるってボスに一回言ってやらなきゃ」

 自然に振舞おうと思えば思うほど、声が上擦っているのが自分でも判る。その事実を知ってしまい、更に不自然さが際立ってしまう。
 普通に、いつも通りにしなきゃと思えば思う程、彼の目を見る事さえままならなくなっていた。

「本当に会議なんてあるの?」

 叶子の努力もむなしく、あっけなく見抜かれて激しく動揺する。

「ほ、本当よ。なんで嘘なんか」

「――じゃあ明日、君のボスに電話するよ?」

 まるで親が子供の嘘を暴こうとしているようなその台詞に叶子は耳を疑う。背を向けていた身体を彼の方へと向き直ると鋭い視線を向けた。

「酷い、それって私を信用してないの?」

ソファーに座り、少し疲れた様子のジャックは太腿の上に置いた自分の掌をギュッと握りしめた。

「酷いのは君の方だよ!!」
「きゃっ!」

 テーブルをバンッと叩きながらジャックは急に大きな声を出した。その衝撃でロックグラスは横転し、茶色の液体が絨毯に染みを作る。急に怒鳴られた事によって驚いた叶子はビクッと肩を竦め小さな悲鳴を上げた。
 いつも穏やかなジャックの表情はみるみる豹変し、今まで見た事の無い彼の姿が顔を出した。
以前、『何事に関しても自分について来れる奴だけついて来ればいい、って言うタイプ』と、グレースが話していたのを思い出す。本当の彼は俺様気質なのだと言わんばかりのその内容にあの時は信じられない気持ちでいたが、今、目の前の彼を見ていると、グレースが言った事はこういう事だったのかもと思い知った。

「何故僕を避けるの? 僕が何をしたの? 全く判らないよ!」
「さ、避けてなんか」
「──っ!! 僕が君の少しの変化も見抜けないような、そんな鈍感な男だと思ってるの!?」

 何か言葉を発する度ジャックの声量も大きくなる。叶子の返す言葉が全く腑に落ちないのか、どんどん怒りが増していく様だった。
 いつもの優しいジャックはいつの間にか姿を消している。部屋の隅に追い詰められ身体を小刻みに震わせている小さな鼠の如く、目の前の彼は怒りに身を任せ徐々に叶子を追い詰めていった。