運命の人

「どうぞ」
「失礼します。社長、今年も徐々に届き始めましたよ」

 肘でドアを開けながら体を滑り込ませ、ジュディスが両手に大きな段ボール箱を抱えて入ってきた。彼のデスクの前まで行きドサッとその箱を床に降ろすと、手についた汚れを軽く払い、『ふぅっ』と息を吐いた。

「なにが?」

 デスクで書類にペンを走らせていたジャックは、顔を上げ、上からその箱の中を覗き込んだ。色とりどりのリボンが飾られた大小様々な形のプレゼントらしき物が手狭そうにダンボール箱の中でひしめき合っている。どうせ、誰かが何処からか貰って来たものだろうと思ったジャックは再び書類に視線を戻すと、興味無さ気にジュディスに尋ねた。

「何それ? どうしたの?」
「バレンタインデーですよー」

 バレンタインデー。その言葉を聞いて、そういやそろそろそんな時期かと思い出し、再び箱の中を覗いた。

「コレ、全部僕宛て?」
「こんなの! まだまだ序の口ですよ。本番は明後日ですからね」

 何故かやたら張り切っている様子のジュディスを見て、大きなため息が零れた。走らせていたペンを休め、掛けていた縁無しの眼鏡を取ると深く椅子の背もたれに重心を移した。

「もう、これから届くものは断っといてね。女性に無駄にお金を使わせるのは申し訳ないよ」
「無駄に使ってる訳ではないと思いますが……」

 『どうしたものか』と肩を竦めて苦笑いを浮かべるジャックに対し、ジュディスは不満げな表情を見せた。

 体を起こし、組んでいた足を解くと、デスクの上に肘をついて両手を組んだ。

「しかし、この国は不思議だね。女性から愛の告白をさせる習慣があるなんて」
「素敵じゃないですか」
「そう? 僕なら自分から伝えたいよ」
「社長から愛されて断る人なんていないでしょうねぇ」
「……。」
「え? 断られた事、……あるんですか?」
「……うるさいよ」
「あ、も、申し訳御座いません!」

 リアルタイム過ぎるジュディスのその言葉に、顔を引きつらせて彼はうなだれた。
 確かに、ジュディスの言った通り今まで自分から告白して断られた事は無かった。といっても、無謀な賭けだと明らかに判る相手を振り向かせてきた訳ではなく、保険に保険を重ねて、断られるはずは無いだろう。と、予め予測出来る相手にしか自分から伝えた事は無かった。いや、自分から伝えるまでもなく、過去に付き合ってきた殆どの女性が、女性側から迫られる事ばかりだったので、はっきり言って、色恋沙汰に苦労をしたことが無い。

 ――百戦錬磨、とまでは行かなくとも、それなりに経験を積んできた彼にとって、これほどまでに上手く行かない事があるのかと頭を抱える程、叶子の事を考える時間が増え、否応(いやおう)無しに、彼女がジャックの頭の中を支配していく。

 ずっと黙り込んでいるジャックに、自分のせいで機嫌を損ねてしまったと感じたジュディスは慌てて部屋から立ち去ろうとした。逃げるようにしてその場を去ろうとするジュディスをジャックが呼び止める。

「そういえば、ジュディスって今いくつ?」

 ドアの前で振り返ると、きょとんとした顔で素直に答えた。

「今年で25です」
「そう」

(25かぁ……。カナもそれ位なのかな?)

「じゃさ、君が付き合うとしたら何歳までならOKなの?」
「え? ――まぁ、父親が45歳なので、それより下だったら大丈夫だとは思いますが」
「45!?」

 思わず声が裏返り、大きな目が飛び出そうな位見開いた。
 あの日、叶子のオフィスの前で待ち伏せした時に一緒にいた男に『年相応な女を捜しなよ?』や『おじさん』と言われでも、ジャック自身はその事について特に何とも思っていなかったのだが、仕事のパートナーの父親よりも自分が年上だったと言う事を知り、かなり落ち込んだ。

「そうか。……じゃあやっぱり君からしたら、僕なんておじさんだよね」
「ええ!? おじさんだなんて! そ、そんなことないですよ! 社長だったら全然OKですっ! ……って、ぁっ」

 もしや社長が自分に気があるんじゃないかと一人でどうやら勘違いをしてしまったらしく、みるみるジュディスの顔は赤くなっていった。
 しかし、そんなジュディスの心配も余所に、全くと言っていいほど気付いていないジャックは、小さく溜息を零しながら眼鏡を掛けると、書類に視線を落として口を少し尖らせた。

「いいよ、そんな気を使わなくても」
「あの、えと。し、失礼しました」

 居たたまれなくなったジュディスは、大急ぎで部屋から飛び出していった。
 ジュディスの慌てた様子にクスリと微笑むとゆっくりと椅子から立ち上がり、床に置かれたダンボール箱の中から1つ取り出して裏と表を交互に見た。

「ふむ」

 トントンと顎にぶつけながら、遠くを見つめている。

「バレンタイン、ねぇー……、――」

 何かを思いついたのか、満面の笑みを浮かべた。無造作にダンボール箱にプレゼントを戻し、コートハンガーに掛けられている自身のコートを引っ掴み、慌てて部屋から飛び出した。

「ジュディス! ちょっと出かけてくるよ!」

 開け放たれたドアに光が差し込み、その光の中へと吸い込まれていった。