運命の人

「あの、そのお返事なんですが」

 叶子がそう言った途端、俯いていた頭をがばっと上げ大きな目を更に丸くした彼が叶子を見つめた。さっきの今でもう返事を貰えるとはこれっぽっちも思っていなかった。と、彼の目がそう語っていた。

「え? もう?」
「はい。こういうのは早い方がいいと……」
「あ、うん」

 姿勢を正した彼はふ~っと息を吐き、気持ちを落ち着かせていた。たった数秒の間が何時間、何日間の様に思えるほど長く感じゴクリと息を呑む。それでも叶子から視線を逸らないのは最悪の返事が返って来るなど微塵も思っていないからだろう。
 叶子から発せられた次の言葉に、そんな自信はあっさりと崩れ落ちてしまった。

「えと、……凄く嬉しかったんですが、――ごめんなさい!」

 膝に額がつきそうなほど深く頭を下げた。再び頭を上げたときには今にも泣き出しそうに彼が眉根を寄せていた。

「えぇっ!? あのっ、ちょっ」
「もう……、僕最悪じゃないか」

 あんな事があった後の断りの返事だからか、恥ずかしくて居たたまれないとでも言いたげに顔を赤らめていた。

「いや、その……。あなたが悪いんじゃなくて」

 いい大人の、しかも男性が自分が言った言葉のせいで泣きそうになっている事に当惑する。何か言葉をかけようとするも、こんな時に限ってなかなか丁度いい言葉など思い浮かばないものだ。

「じゃあ、他にいい男性(ひと)がいるの?」
「い、いえ」
「だったら、僕の何処がいけないか教えてよ」

 彼は振られた事が無いのだろうか。一度断ったと言うのに退くどころか理由を述べよと詰め寄ってくる。生粋の日本人ならここまで食い下がってくるとは思えず、これも彼がアメリカ人とのハーフ故なのかと変に納得した。

 彼は何処も悪い所なんてない、悪いところかいい所ばかりだ。ただ、それが負担になると感じてしまった所為でせっかくの申し出を断ってしまった。
 彼女の答えを聞く為に彼が身を乗り出して耳を傾けている。言い出し難いな、と感じつつ、重い口を開いた。

「あの、私と違ってすごく大人な所とか。……合わないと思うんです」
「……それと?」

 叶子は膝の上に揃えた自身の両手を見ながら一呼吸置いて深く息を吸う。ちゃんと“彼の悪い所”を言わなければ納得して貰えないと、叶子は堰(せき)を切ったように話し始めた。

「それに……。こーんなおっきなお屋敷に住んでて、運転手さんやメイドさんが一杯雇える程のお金持ちで。――あ、美人な秘書さんもいるし」

 眉間にしわを寄せ、彼が不思議そうな面持ちをしている。そんな彼の表情の変化にも気付かぬまま、思いの限りを伝えようとした。

「気遣いも凄くて。優しいし、紳士だし……。あ! あと、ほらっ! 凄くカッコイイし」

 ここまでくると、流石の彼も拍子抜けしたと言わんばかりにきょとんとした顔になっていた。やがて、全てを理解したかのようにフッと柔らかく微笑むと、ゆっくり彼女の椅子へ近づきそっと肘掛に腰掛けた。自分の手元ばかり見ている叶子は、彼が自分のソファーの肘掛に座っている事に気付いていない。

「手も足も長くて、声も透き通るような綺麗な声で。初めて声掛けられたとき驚いちゃった」

 彼の事を話している叶子は何故だか笑顔になっている。それが何を意味するのか、鈍感な彼女は恐らく気付いてはいないだろう。

「あとっ、……?」

 やっとの事で俯いていた顔を上げてみたが、向かいのソファーで確かに座っていたはずの彼がいない。その事に気づいたと同時に突然頭の上から声が聞こえた。

「それが」

 ビクッと肩を竦め、声が聞こえてくる方を見上げる。やはり夢中で話続けていたせいか、いつの間にか彼が移動していて自分の肘掛に座っていたとは、全く気付いていないようであった。

「――それが、僕が君に振られた理由?」
「え?」
「そんな風には全然聞こえないんだけど」

 彼は軽く握った手を口元に持って行き、もう一方の手でお腹をおさえて笑うのを我慢している。そう言われた事がごもっとも過ぎて、今度は叶子が顔を真っ赤にして小さくなってしまった。

「だからっ! ――私なんかとは全然釣り合わないって事ですっ」

 彼と付き合えない理由を言うはずが彼の良い所ばかりを列挙してしまっていた。“しまった”とばかりに目を逸らした叶子を見詰める目が、愛くるしいものを見詰める優しい眼差しになる。そんな叶子の顔をもっと良く見てみたい、そんな衝動に駆られた彼は彼女の顔にかかった髪に手を伸ばした。
 湿り気のある髪を掻き揚げるたび、叶子は固く身構える。たちまち落ち着かなくなった彼女を見て、彼がクスリと笑った。

 彼の手の甲が髪を撫で付け、彼の指の背が彼女の頬を滑らせる。触れるか触れないかの距離を保ちながら指の背が叶子の顎のラインをなぞりあげた。叶子はたったこれだけの事でも身体が硬直し、余裕など全くなくなっていいると言うのに、彼はそんな彼女の様子を知ってか知らずか、次の瞬間、反対側の頬に手を添えると叶子の顔をそっと自分の方に向けさせた。

「釣り合う釣り合わないって一体誰が決めるの?」

 ――ねぇ、教えて?
 そう言うと、少しづつ彼の顔が近づき始める。
 さっきまで泣きそうになっていたまるで小さな子供の様な彼は既にそこにはおらず、あっという間に立場が逆転していた。