「いいなあ、指長くて」

「鈴の音色も聞いてみたいな。やればいいのに。ピアノ」

「そうは言うけど、この手じゃね。小さすぎてピアノには向かないんだもの。それに……」

私は一旦言葉を区切って彼の指先を解放した。解かれた手はそっと鍵盤の上に添えられる。

「自分で弾かなくても匠が弾いてくれるしね」
「俺はお前専用のジュークボックスじゃねぇぞ」

悪戯っぽく笑った私にため息交じりの返答が返ってきた。比喩に登場した品物に彼の趣味が色濃く反映されていて、また私は笑ってしまう。

「とはいえ、同じ曲ばかり弾くのも飽きるな」

不意に鍵盤の上で彼の指が囁いた。高音の透明で繊細な調べは、私を一瞬で恍惚の只中へと連れて行く。
私の好きな夜の曲。ドビュッシー作、月の光。

「きれいね。月の光」
「残念。今夜は新月だってさ」

とぼけた返答とは裏腹に、彼は指先で鼓膜と心に囁き続ける。

「綺麗よ。どんな月でも」
「だと、いいんだけどね」

私たちよりも早く、太陽は西の空の彼方へと帰るだろう。
指を絡めて見る月は、今夜もきっときれいだ。