「では。今度、浴衣を取りに来ます」



井岡様はそう言うと、まるで何事も無かったかのように笑みを浮かべ、胴に回された初の腕をさり気なく外した。


初の頭にそっと手を置き、今度こそ店から出て行く。


慣れているような一連の流れに、男性よりきっと女性から迫られる経験が多いに違いないと邪推し、流れる涙をそっと拭った。


自分が振った女に素知らぬ顔をして、また優しい顔をしていらっしゃるですね、と心の中で井岡様を詰(なじ)る。


綺麗な顔をなさって酷い方。
一度もわたしの名を呼んで下さらなかった。





この想いが綺麗に無くなるまで、


店の戸を開く主に期待するのだろう。


まだ、わたしは逃げられない。





【終】