時折彼女は真夜中に、噎せ返るような血の匂いを纏ってやって来る。艶のある黒髪をなびかせ、真っ赤な口紅を引いて、とてつもなく蟲惑的な瞳を携えて。咳き込んでしまいそうな色香。僕はそれを「血の匂い」と例える。その時の彼女はまるで一輪の黒い花のように危うげで儚い。この手で触れようものならばお互いに傷付いてしまいそうなほどに。だけれど僕は手を伸ばして彼女の体を支える。彼女は鋭い瞳で僕を睨み付けて、それから痛いほどに抱きしめるのだ。紡げない言葉を紡ぐように。
愛しいと思う。他の男と体を重ね、傷ついたフリをする彼女が。指先で触れただけで折れてしまうほどに弱いくせに、涙を飲み込んで強い目を向ける彼女が。恋仲になりたいわけでもない。ずっと傍に居たいわけでもない。彼女という存在そのものが僕にとって大切であり、重要なのだ。
用事を済ませて夕方家に戻ると、彼女は居なくなっていた。ベッドの上に彼女が着ていたであろう僕のTシャツが畳んで置いてある。それを掴んで洗面所の洗濯機の中に放り込んでから、今買ってきたピンクグレープフルーツを冷蔵庫の中に押し込んだ。テーブルの上の灰皿には、今朝彼女が吸った煙草の吸殻が残っている。淡く赤い口紅が残った煙草。
じきに暗くなるだろう。窓を開けながら僕は煙草に火を点けた。黒い野良猫は夜の闇に紛れて町を闊歩する。喧騒の隙間を抜け、血の匂いに包まれながら笑う。そのくせ誰よりも弱いのだから、支える枝が必要なのだ。それが僕でなくてもいい。どこかでいつまでも彼女のままで居てくれるなら。きっと僕もまた非情なのだ。異常だろうか。蜘蛛の糸でしか繋がっていない彼女との関係性を気に入っている。
吐き出した煙の甘い匂いに、ずっと下に見える人ごみを歩いていた一人が顔を上げた。黒く艶のある髪の、真っ赤な口紅を引いた、
リンノハナ
(巻き付く蔓で居たいだけ)


